チェチーリア・バルトリ「イタリア古典歌曲集」

sbiaco2008-09-08



DHMのボックスセットを聴いていて思うのは、声楽ではやはりイタリア、スペインものがいいなあ、ということ。こういった曲ではまた歌手に逸材を揃えているんですよね。

ところで、声楽学習者の教材として「イタリア古典歌曲集」というのがあります。私はこの曲集のディスクとしてはチェチーリア・バルトリの歌ったものしかもっていません(ロンドン、ポリグラム、1992年)。しかし、まあこれでとりあえずは十分かと思っています。いや、私にとってはこれは十分すぎるくらいで、じっさいのところ、このディスクで聴くのは最後の4曲にかぎられます。

このディスク、バルトリという歌手がどういう人か知らずに一曲目から聴いて、いきなりがつんとやられました。やられたといってもいい意味ではなくて、なんというかジャケット写真からは想像もつかないようなマスキュリンな声にひどく動揺してしまいました。オペラ・グラスでプリマ・ドンナを観察していたら、意外にも股間もっこりしたふくらみを発見したような気まずさ、といえばいいでしょうか*1

というわけで、あまり好んで聴くディスクではないのですが、最後の4曲だけは例外的にすばらしいのです。曲はカッチーニの「アマリッリ」、カヴァッリの「満ち足りた喜びよ」、ヴィヴァルディの「私は蔑ろにされた妻」、カリッシミの「勝利だ、勝利だ」。

ここでは上に書いたマスキュリンな要素は影をひそめて、彼女のフェミニンな要素が前面に押し出されています。これらの曲を聴いていると、ほんとうに芸術品を目の当たりにしている気分になってきます。それも、いっさいの人間的なものを捨象した、いわばマニエリスム的な美、ブロンツィーノの肖像画に顕著な陶器のような美しさを感じます。

私はバルトリという歌手の本質を見誤っているのかもしれません。しかし、それでもいいと思わせるだけの「魔力」をこの4曲はもっています。

*1:そんなことが実際にあるかどうかは別として