ヨーロッパ式のお時儀


高山氏の本に触発されたわけでもないが、やっぱりアリスは「不思議の国」だけでも読んでおこうと思って本を取り出した。前に買ってあったペンギン・ブックスの子供版のパフィン・ブックスというもの。童話でしかも言語遊戯が満載とあれば、原語版につくにしくはない。翻訳で寒い駄洒落を読まされるのはご免なのでね*1

翻訳といえば、アリスの翻訳はいったいどれくらいあるのだろうか。子供用にリライトしたものまで含めれば、膨大な数にのぼるのではないかと思う。そんななかで、私の興味はおのずと本邦初紹介のものに向かう。たとえ不完全なものであっても、だれがいつごろどんなかたちで紹介したのかに興味がある。

そういえば、大正のころ、私の愛する厨川白村が、東大で英文学を勉強していたとき、先生のラフカディオ・ハーンにこのアリスやらゴシック小説やらを勧められて閉口したとエッセイに書いていた。あくまでリアルなものを求める白村と、幻想的なものを愛するハーンとの対比がちょっとおもしろい。

さて話はいきなり変るが、外国の女性のするお時儀で、片足をうしろに引いて体をかがめるのがある。手はスカートをちょっと引っぱりあげるのだったか。いずれにしてもバレエの所作のように優雅で、とくに少女がやると、小さいながらもレディのような品格がただよう。

このお時儀を何と呼ぶのか、長いことわからなかった。

ところが、アリスの最初のほうにcurtseyという言葉が出てきて、これを辞書でひくに及んで積年の疑問が氷解した。そう、あのお時儀はカーツィーというらしい。

これはべつにイギリス特有のものでもないので、英語以外に調べてみると、フランス語でレヴェランス、ドイツ語でクニックスというらしい。

日本ではお時儀といえば棒立ちで体をかがめて頭を下げるだけなのに、欧米ではあんなふうに芝居がかった所作をするのがおもしろい。いまでもやっているのかどうかは疑問だが。


(追記)
Curtseyは語源的にはcourtesyの縮約されたものらしい。Courtesyといえば、by courtesy ofがよく知られているが、もともとは「礼儀、作法」の意味。字を見てすぐにわかるように、これは宮廷(court)に由来する。

それともうひとつ思いついたので書いておくと、翻訳ものの小説や戯曲によく「しなをつくる」というのが出てくる。いままで意味もよくわからないままやりすごしてきたが、あらためて辞書(岩波国語辞典)をひくと、「(特に女が男に対し)感情をこめて、あだっぽい媚びるような様子をする」と説明してある。これで見るとカルメンがドン・ホセに対してやるようなしぐさを指すようだが、どうもそういう場面だけで使われているのではなかったような気もする。

そこで新村出の「辞苑」を見ると、同じ言葉に「1.上品ぶる、気どる。2.言語・動作をしとやかにする」とある。上の説明とは微妙に、ではなく歴然とちがっている。あまり一般には使われない成句でも、時代によって意味は変ってくるらしい(「辞苑」は昭和10年、「岩波〜」は昭和61年)。

私の漠然とした語感では、どっちかといえば後者よりかなあ。いずれにしても、curtseyの訳としては、「しなをつくってお時儀をする」くらいが適当なのではないか。


(追記2)
もうひとつ思いついたので書いておくと、戯曲のト書きにある「しなをつくって」の「しな」にはとくに深い意味はなく、たんに「なんらかの動作をして」という意味ではないか。「しな」は「科」で、たんに「身振り」をあらわすのではないか。根拠はないがどうもそんな気がしてきた。


(追記3、9/1)
「科白」はいまでは「せりふ」と読み慣わしているけれども、もともと「科」と「白」とは別物で、「科」(しな)は身振り、「白」(せりふ)は台詞を意味した。つまり「科白」(かはく)は俳優の舞台での仕事を総称したものだった。

だからどうした、といわれても困るのだが、(追記2)の根拠に──薄弱ながら──なりませんかね。

「だって「しなをつくる」はほぼ女性限定じゃないか」といわれたら返す言葉もありませんが。

*1:といっても、その処理の仕方に興味がないわけではない。原作を読みおえたら、本屋ででも確認するつもり