アイスキュロス「テーバイ攻めの七将」


これはすごい。全篇ほとんどシンメトリーだけで成り立っているような戯曲(高津春繁訳、岩波文庫)。

テーバイ攻めの七将がいればテーバイ守りの七将がいる。おのおのは七つの門で一騎打ちの勝負を挑む。この七つの門はおそらく同心円状になった七つの城壁に配置されている。そしてそのいちばん中央の城門で対決するのがオイディプスのふたりの息子(エテオクレスとポリュネイケス)。

合唱隊(コロス)はいわば鏡の役割を果している。ここでのコロスの科白はアリストテレスのいわゆる恐怖と哀憐とをはっきり打ち出していて興味深い。

オイディプスのふたりの息子は、ヘブライ神話の人類最初の兄弟、カインとアベルになぞらえられる。どっちがカインでどっちがアベルか。テーバイから追放されたポリュネイケスがカインだとすると、アベルであるエテオクレスはけっして憎しみからではなく、むしろ兄弟としての同情から、わが身を犠牲にすること(つまり刺し違えること)によってポリュネイケスを救おうとする。

それは同時に神託によって決定された運命を超えることでもある。逃れられたかもしれない運命をみずから担うことで、エテオクレスは神託を越えたといえないだろうか。

刺し違えて果てた二人の兄弟の死顔はおそらくおだやかなものだったと思われる。ここにはみずからの運命をまっとうした人にのみ認められる清澄さがある。

最後のアンティゴネとイスメネ(オイディプスのふたりの娘)による掛け合いの科白もすばらしい。これによって劇はシンメトリックな構造を保ったまま結末をむかえる。布告使登場以下の場面(後人による付加)はまさに蛇足だ。

アイスキュロスがこんなすごい戯曲を書いていたとは知らなかった。ギリシャ悲劇は「オイディプス王」だけではなかったのだ(当り前のことだが)。


(追記)
本文で「同心円状になった七重の城壁」みたいなことを書いたが、これだと兄弟対決が行われる時点で市は陥落寸前ということになる。これは劇の記述と合わない。やはり城壁はひとつで、それに七つの門がついている、と考えるのが妥当だろう。


(追記2)
もうひとつ、木下杢太郎が鴎外を評した有名な言葉に「テエベス百門の大都」というのがある。杢太郎はこれをどこから引っぱってきたか。出典があるなら知りたいものだ。