ファッショについて


最近では禁煙ファシズムなんていう言葉もできているようだが、このファシズムの意味が昔からよくわからなかった。ファシズムとはべつにファッショという言葉もある。これはそもそもどういう意味合いの言葉だろうか。

子供のころ、家の向かいに住んでいた小父さんがよく写真雑誌を見せてくれた。ほとんどが戦争テーマのもので、そのなかに数人の女性が銃をかまえている写真があって、「高まるファッショの波」というキャプションがついていたのをおぼえている。ファッションなら知っていたが、ファッショとは初耳だった。

ところで、このファッショという言葉を英語の辞書で引くと、意外なことに立項されていない。日本語にもなっている言葉が英語に採り入れられていないのはふしぎな気がする。フランス語には入っていて、「(イタリアの)政治結社」という意味で使われているらしい。

ファッショ(fascio)の原義は「束」で、語源はラテン語のfascis。ファシズム全体主義と訳されるから、人民を「束」のようにひとからげにするという意味でファッショという言葉が使われたといえばわかりやすいが、真相はどうだろうか。この点に関しては、ウィキペディアの語源の記述もあやふやで、わかったようなわからないような説明に終始している。

私の独断でいえば、ムッソリーニファシスト党を作ったとき、彼の頭には古代ローマの栄光がヴィジョンとしてあったと思う。そこで、かつて古代ローマで公的権力の象徴として使われていたfasces(fascisの複数形。束桿と訳される)をとって自分の党の名前とし、かつ標章としたのではないか。

しかしそればかりではなく、すでに1891年にシチリアでfasci sicilianiなる組織が結成されている。このシチリア・ファッシと呼ばれる組織は、急進的農業改革を運動の基幹としたプロレタリア結社で、Fasci dei Lavoratori(労働者ファッシ)とも呼ばれていたらしい。

これなんかは、まさに「結束」という意味でのfascio(fasci)だろう。フランス語でファッショが「(イタリアの)政治結社」を意味するのも、当時はいくつものファッシがイタリアに乱立していたからではないか。

ムッソリーニの結社も数あるファッシのひとつで、fasci di combattimento(戦闘ファッシ)と呼ばれていたらしい。

けっきょくのところ、ファッショが「結束」と「束桿」とのふたつを意味するために、この言葉のもともとの由来がつきとめにくいということがある。ムッソリーニはこのふたつをひとつにまとめて、ファシズムという思想を打ち出した。そして日本では、ファッショという言葉は広義のファシズムというほどの意味で使われている(おそらく)。ファッショ化するとか、ファッショ的とかいう用法があることがその証拠だ*1

しかし、それとはべつに、私にとってファッショという言葉はどうしても子供のころに見た写真雑誌と切り離して考えられない。あの銃をかまえた少女たちの写真こそが私にとってのファッショだ(それが間違っているかどうかはともかくとして)。

*1:英文ウィキペディアによれば、現代イタリアでファッショといえばファシストの蔑称らしい