精神の至福は肉体からくる


先週末からずっと目の調子がわるくて、本もPCも満足に見られなかった。こうなると、いかにふだんから視覚に依存した生活を送っているかがよくわかる。

仕方がないから部屋の整理をやっていた。今回はとくに念入りに、机のなかまで引っかきまわした。例によって変なものがいろいろ出てきて、とくに10年前の渡欧時に断片的につけていたノートはおもしろく、ここに一部を抜き書きしようかと思ったが、まあ自分にはおもしろくても他人様がそう思うかどうかは別問題だし、あんまりナルシシストぶりをひけらかすのもどうかと思うので、やめておいた。

目のほうは完全復調で、久しぶりに全能感を味わう。その程度のことで全能感だなんてバカみたいだが、いいんですよ、自分さえ満足ならば。心の貧しきものは幸いなり、というわけです。

この全能感をさらにあおってくれるのがバッハの「ゴルトベルク変奏曲」。この前買ったDHMのボックスセットに入っているもので、ラインハルトレオンハルトが演奏している。私は恥ずかしながらいままでこの曲を聴いたことがなかった。これはバッハの作品のうちでも飛びぬけてノスタルジックな感情を喚起するものではないだろうか。ノスタルジックといっても懐古的というのではなく、各自の人生のもっとも充実した時期の情緒を喚起する、とでもいえばいいか。そしてこの曲がすばらしいのは、そのもっとも充実した時期が「いま、ここ」ではないか、という錯覚(?)をもたらしてくれる点。

目の復調で全能感を味わい、バッハの曲で至福感を味わう。こんなに幸せでいいのかしら、と思ってしまう。


(付記)
eysさんへ。
もうここはご覧になってらっしゃらないかもしれませんが、ひとことだけ。
日記を削除したことなんか、たいしたことじゃないです。
「生きて」さえいれば、日記なんかいつでもまた始められますからね。
そんなわけで、いつかまたお目にかかれる日を楽しみにしています。