死刑廃止とその代案


凶悪事件を起こした少年が死刑になるとかなったとか報じられていて、まあ私にはどうでもいいことなんですが、この死刑という制度にだけは昔から疑問を抱いていました。いったい死刑はだれのためにあるのでしょうか。国家のためか、社会のためか、加害者のためか、それとも被害者のためか。

だいたい殺人というのはだれがやってもよろしくないので、国家がやるのももちろんよくないわけだから、殺人を無条件に禁ずるならば、とうぜん死刑も廃止にしないといけなくなります。いっぽう、死刑をみとめるならば、報復殺人もみとめなければなりません。死刑は法にのっとってるからOK、ということにはならないでしょう。

いずれにしても、民主主義を奉ずるかぎり、死刑は廃止しなければならない、という主張は動かすべからざるものに思われます。

とはいうものの、被害者の、とくに遺族などの気持を考えてみると、やはり死刑は必要かな、という気もします。自分たちに多大の苦痛を与えた人物が、たとえ刑務所のなかであってものうのうと生きていると考えるのはたまらないだろうな、と考えます。

死刑はよくない、かといって被害者のことを考えるといちがいに廃止にもできない、というのがジレンマなのですが、これを一挙に解決する方法もないではありません。

それは、いわゆる無期懲役に特例をもうけて、いわば第二種無期懲役をつくってしまえばいいのです。

この第二種においては、従来の無期懲役にあった生ぬるい要素はいっさい排除されます。文字どおり非人間的な環境における「監禁」にほかなりません。衣食住はいちおう確保されるとして、その他の、いわゆる人間らしい生活をするうえで必要とされるものはいっさい与えられません。まあ、その内実がどんなものかは、ここでくどくど書くよりも、各自の想像におまかせしますが。

江戸川乱歩の「鏡地獄」みたいな装置を考案してそこに監禁するのもひとつの方法ですね。

衣食住に相当する最低限の保証は与えているわけだし、拷問虐待するわけでもなく、ヒューマニズムの見地からしてやましいことはいっさいしていないので、執行する側にしても死刑の場合のような重苦しい気持にならずにすみます。「監禁」という言葉が気になるのなら、「保護」といいかえてもいいでしょう。それにこの方法なら、事件の被害者のほうの報復的な心情もかなり慰撫されるのではないでしょうか。なにしろ加害者は実質的に「生きながらの埋葬」をしいられているのですから。

私が独裁者だったら、迷わずこの方法をえらびます。