エロスとアガペ


エロスとアガペとは対比的に用いられることが多く、前者が上昇的、所与的、肉体的な愛であるとすれば、後者は下降的、能与的、精神的な愛であるとされている。

しかし私は、両者を分かつ根本的な要因は、「個に対する愛か、類に対する愛か」ではないかと思う。

そんなことを思ったのは、最近あちこちで桜が咲いているのを見るからで、世に桜を愛する人は多いけれども、いったい彼らはどういう気持で桜を愛しているのだろうか、ということがふと気になった。

たいていの人は桜の花のひとつひとつ、あるいは樹の一本一本を愛しているのではなく、たくさんの桜がいっせいに咲いているのを見て「ああ、きれいだな、すてきだな」と思うのではないか。要するに桜を「類」として愛しているので、けっして「個」としての桜、特定の桜を愛しているのではない。

こういうのはアガペの愛ではないだろうか。

いっぽう、桜の樹を自分で植えている人はどうか。こういう人の桜への愛は、けっして類的なものではなく、まったく個別的、所有的なものだ。彼はほかのどんな土地の桜よりも自分の庭に咲く桜の花を愛するだろう。そしてその桜の花が彼の目にうつる美しさは、ほかのどんなにりっぱな桜の花とも違っているだろう。

こういうのをエロスの愛と考えるのはまちがっているだろうか。