「盲獣」

sbiaco2008-02-16



この前の「からっ風野郎」の感想で、三島由紀夫はヤクザ映画ではなくて乱歩の「陰獣」のほうが似合っていたのでは、みたいなことを書いたが、レンタル店へ行くと、同じ監督(増村保造)の「盲獣」というのが置いてあったのでちょっとびっくりした。主演は船越英二緑魔子船越英二といえば前記の映画で水もしたたるいい男を演じていたのが記憶に新しいし、緑魔子なんて名前からして魅力的ではないか。というわけでさっそく借りてみた(1969年、大映)。

船越英二は三島との共演から約十年、役柄のせいもあって、ちょっと老けたさえない男を演じている。とても同一人物とは思えない。緑魔子はその名のとおり危険な香りをただよわせた魔性の女。いかにも六十年代ふうのメイクとファッションがいい味を出している。全体のマチエールも日本映画っぽくはなく、イタリアで修行してきたという監督の経歴が生かされているように思った。

話の筋はごく単純なもので、盲目の男(自称触覚芸術家)に誘拐されたヌードモデルが、倉庫の内部を改造したアトリエに監禁され、最初ははげしく抵抗するものの、じょじょに触覚芸術の世界にめざめていく、というもの。ここでは「めくら」とか「きちがい」とかいう、いまではまったく耳にすることがなくなった言葉がぽんぽん飛びだす。

このアトリエの壁は女体の各部分の彫刻で埋めつくされていて、中央には10メートル以上もありそうな巨大な裸婦の像(ゴム製の?)が二体横たわっている(仰臥と伏臥で)。これはたぶん原作にはなく、ボードレールの「巨大な女」にインスパイアされたものだと思われる。いずれにしてもこの裸婦像の存在感は圧倒的だ。そしてこれがまた主人公の母親コンプレックスの象徴にもなっている。

で、後半は心ならずも母を殺したことでやっと母親コンプレックスから解放された男が、触覚芸術からじょじょに「芸術」を脱落させて、純粋に「触覚」世界の深みへと落ちこんでいくさまが描かれている。そのころには女のほうもすっかり触覚世界のとりこになっていて、ふたりのプレイはどんどんSMのほうに接近していく。

このSMプレイのエスカレートぶりはちょっと息をのむほどで、最後はとうとう四肢切断にまでいたる。盲人が庖丁と金槌をもって女の手足を切断するシーンは残虐すぎてほとんど正視するにたえない。ここまで生の暴力を描き出した映画も当時では珍しかったのではないか。これは二十一世紀のいま見ても恐ろしいまでの迫力だ。そういうものになじみの薄い人が見たら卒倒ものである。

というわけでなんとも後味のわるい、しかしまちがいなく怪作の部類に入る「愛と死」の物語だった。

ひとつ特筆すべきだと思われるのは、この映画に使われた音楽だ。チェンバロとチェロで演奏されているのだが、そのパセティックな曲調はこの映画の内容にぴったり合ったもので、見終わったあともその旋律が耳について離れない。タイトルロールには音楽についてはまったく書かれていなかったが、だれのなんという曲だろうか。ちょっと気になる。