J・ウェブスター「あしながおじさん」

sbiaco2007-12-31



少女愛文学の七冊目(松本恵子訳、新潮文庫)。

なるほど、そういう仕掛けがしてあったのか、と種明かしをされてようやく気づく。

「その瞬間、私の頭にその事実がひらめきました。でも、私ってなんて鈍感なんでしょう。もう少し才知があったら、無数の小さな出来事が、私にそれと気づかせたでしょうに! 私はとても名探偵にはなれませんわね、おじ様──じゃない、ジャーヴィスさん?」

いや、読んでいる私もまったく気がつかなかった。その点では鈍感といわれても仕方がない。もっとも、作者は読者に気づかせないようにいろいろと骨を折っているわけだが。

それにしても、あしながおじさんもなかなか隅に置けない。これでは初めから「そういう目的」でジルーシャに近づいたと思われても仕方がないからだ。最後に手を打って喜んでいるのはじつはジルーシャではなくてあしながおじさんのほうだったかもしれない。

訳者の「解説」によれば、作者のウェブスター女史はジルーシャとは正反対の、非常にめぐまれた子供時代を送ったらしい。彼女はあらゆるものをなに不自由なく得たけれども、「孤児であること」だけは求めても得られないものだった。そのことが逆に孤児をロマンティックな存在として彼女に夢想させたのではないか。

「自分の素性がわからないなんて実際にすごく奇妙な気がいたします──ちょっとわくわくするような、ロマンチックな感じです。……ことによったら私はアメリカ人ではないかもしれません。……古代ローマ直系の子孫かもしれませんし、北欧の海賊の娘かもしれません。或いはシベリアの監獄に当然いるべきロシア人の子供かもしれませんし、またはジプシーかもしれません。……」

現実の孤児の場合はどうかわからないが、作中のジルーシャにあっては、行動のためのエネルギーはすべてこの「自分の素性がわからない」ことに発しているように思われる。……

この本にはウェブスターがみずから描いた、子供の落書きみたいな挿絵がいくつも入っている。じつにユーモラスな絵なのだが、しかし著者の早すぎる死*1を思うと、このほのぼのとした挿絵にも一抹の哀感がただよう。


(付記)
検索していてこんなページを見つけた。私がほのめかすにとどめたことをあからさまに書いてある。まあ、われらが「おじさん」はここまで「黒い人」ではないと思うが。……
それと、このページでは思いきりネタバレしているので、本書を未読のかたは見ないほうがよろしいかと。

*1:本書を刊行して三年後、生後二日の女児を残して亡くなったとのこと