フェラーラ・アンサンブル「三つの歌のバラード」

sbiaco2007-12-30



1995年、ということはこの前紹介した「美徳の華」の一年前に、同じくアルカナというレーベルから出たもの("Balades a iii chans" de Johan Robert & al.)。題名にある「三つの歌」とは、「三つの声部」というほどの意味だと思われる。ここに集められた曲はみな三声部からなっているからで、おもに歌にひとつ、伴奏にふたつの声部が使われている。いわゆる「歌と伴奏」の形態で、非常にすっきりしていて聴きやすい。作者はトレボルことジャン・ロベール、ボード・コルディエ、マテオ・ダ・ペルージャ、アントニオ・ダ・シヴィダル、ソラージュ*1、マジステル・グリマスと、中世末期のアルス・スブティリオルの常連ばかり。例によってシャンティイ写本とモデナ写本から選ばれている。

フェラーラ・アンサンブルの魅力はまずその精緻をきわめたコーラスの美しさにあると思うが、その秘密はおそらくソプラノとアルトが「女声」らしくないことだろう。はじめて聴いたときは、てっきり男ばかりのアンサンブルかと思ったくらいだ。そのくらい、このグループの女声は中性的である。そしてそのことがコーラスを非常にまとまりあるものにしている。これはぜひ多くの人に体験してほしいのだが、いまではなかなか手に入りにくい部類のディスクなのが残念だ。

思うに、中性音楽のCDはすぐれたものほど入手困難になりやすい。もともとあまり売れないジャンルだから発売枚数が少ないうえに、いったん買った人はなかなか手放さないので中古市場に出まわりにくい。結果的に、稀少な需要にすら追いつかないということになる。つまらないものはいくらでも手に入るのに、真にすぐれたものは愛好家のコレクションにおさまってしまっているというのが現状だろう。

それはともかくとしてこのディスク、なんといっても白眉はジャン・ロベールの「もしアレクサンドロスヘクトールが生きていたら」だろう。曲調は、しいて似たものをあげればフォーレの歌曲ということになるだろうか。しかし、これはフォーレの最上の歌曲とくらべてもなお遜色がない。曲中でのポリリズムの使い方も、けっしてわざとらしくなく、いかにも自然に聞こえるのがすばらしい。こんなものが600年も前に作られたとは驚きだ。

ボード・コルディエの「コンパスだけで」はいろんなディスクで再三取り上げられている有名曲だが、このディスクではリュートが定旋律を、ヴィエルがカノン部を演奏している。ここで気になるのが、リュート奏者にNorihisa Sugawaraという人がいることだ。どう見ても日本人だが、そういえばリトル・コンソートにもToyohiko Satohという人がリュートで参加していた。日本人はリュートと相性がいいのだろうか。意外なようでもあり、当然のようでもある。

*1:トラキアのアオンの山」がソラージュの作だとして