バッハ「クリスマス・オラトリオ」


だいぶ前に、この曲はクリスマス限定にする、というようなことを書いた。じつはそういうわけにもいかず、ときどき取り出して聴いているが、まったくバッハという人は私が音楽に興味を失うたびに救いの手を差しのべてくれる。本道へ連れ戻してくれる、といったほうがいいだろうか。こんなに老若男女を問わず全世界の人々から愛されている作曲家もいないだろう。そういう意味で、バッハはスピノザのいう下部構造としての神に近い。音楽の父といわれているけれども、私にとっては神のような存在。

スピノザは「音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しい」と書いている。いわんとする意味がよくわからないが、これをバッハにあてはめてみると、「彼の長調の曲は憂鬱の人には善く、短調の曲は悲傷の人には悪しい」ということになるだろうか。気分が落ちこんでいるときに彼の短調の曲をきくと、もうそれだけで胸がかきむしられるような気持になってくる。それはそれで一種のカタルシスの効果はあるのかもしれないが、たとえば「マタイ受難曲」なんかを鬱病の患者に聴かせたら、自殺でもされるんじゃないかという気がする。

それに比べて、この「クリスマス・オラトリオ」はどうだろうか。これで鬱病がなおるとはとても思えないけれども、冒頭の輝かしい合唱を聴いただけで、ちょっとした憂鬱などは吹っ飛んでしまうのではないか。やはりラッパと太鼓のもつ、人の心を鼓舞する力は相当なものだ。

ところで、これら六つの独立したカンタータはいちどきに演奏されるようには作られていない。あくまでも「クリスマス・シーズン」用の音楽であって、最初の三曲はクリスマスの三日間に、次の一曲は元旦に、その次のは新年最初の日曜日に、最後の曲はエピファニー(御公現の祝日、一月六日)に演奏されるのがきまりだったようだ。たしかに、オラトリオといいながら劇的なところが少しもないこの曲にはそういった聴き方のほうがふさわしい。

ミュンヒンガーの演奏がいいのかわるいのか、この録音だけではわからないけれども、エリー・アメリンクのファンならばこれを選ぶしかない。ここでのアメリンクは、しかし「マタイ」や「ヨハネ」のときのような、全身全霊で作品を作りあげる努力はしていないようだ。かといって天衣無縫というわけでもなく、なんとなく場当たり的に歌っているとしか思えない。あまり調子がよくなかったのだろうか。

第六曲をしめくくるコラールは、「マタイ」などでおなじみのあのコラール。しかし、同じ曲を使いながら、受難曲のような崇高感や悲壮感はみじんも感じさせず、疾走するような喜びにみちた長調の曲のなかにうまくはめこまれている。この編曲の才能はすごい。もしかしたら、この曲の全体がそういった才能の産物なのかもしれないな、と思った。