矢野峰人の創作詩


あいかわらず矢野峰人で検索してくる人が少なくないので、この機会にもう少しだけ書いておこう。

矢野峰人が編者として関わった本のひとつに河出書房の「日本現代詩大系」がある。これは明治の草創期から昭和20年ころまでに出た詩集の集大成で、有名詩人から超無名の詩人の作まで網羅的に採録した10巻本。これさえあれば、戦前のほとんどの詩人についておおよそのところが把握できてしまうすばらしい本だ*1

で、その第5巻に矢野峰人の詩集が収録されている。「黙祷」(大正8年)、「幻塵集」(昭和15年)、「影」(昭和18年)*2、それに未発表の「挽歌」から一篇。

一読して、詩才の乏しさを感じさせる。こういうのを読むと、さすがに日夏耿之介はえらかったと思わざるをえない。彼はともかくも贋のポエジーを贋のままで芸術にまで高めたからだ。それに比べると矢野峰人の詩は自費出版レベル、よくて同人誌レベルといったところ。採録されているのは象徴詩が多いが、その象徴にしてもどうもありきたりで、この程度の詩なら私にも作れるんじゃないかと思ってしまう。

とはいうものの、なかには「おや!?」と思う詩がないでもない。たとえば「影」に収録された「謎」という詩。これには、少なくとも心境として、ダウソンの「シナラ」と呼応するものが感じられる。


「言はでやみにし恋ならば/またと告ぐべき時やある?/よし斯かる時ありとても/今はた何をかたるべき。
さはれただわが知りたきは/そのかみの日にのたまひし/かのやさしくもへだてなき/言葉の奥にひそみてし/君がまことのすがたなる。
げに、花ならば花びらの/そのことごとをかきむしり/しべの数をも読みつくし/香(か)のありかさへきはめんを、/触るれば消ゆる影に似し/人のこころぞすべもなき。
ましてやながき人の道、/迷はで来つる君なれば、/今はえうなき夢ゆゑに/そのほこりをば一瞬に/棄つべき言葉なぞ告げむ。
われらのきよきまじはりに/葬りの鐘とひびくべき/君があかしの一言は、/さらば、もとめでやむべきか。
三十年(みそとし)を経し今にして/ふりかへり見るかの時の/きみがこころぞわきがたき。」


三十年ねえ……

ともあれ、こういうほとんど無技巧というべき詩にほんとうの「そのひと」があらわれるのを見るのはおもしろい。

*1:さすがに無名詩人の詩集は数篇の抜粋のみになっているが

*2:いずれも抄