エーヴェルスの「トマト・ソース」について


このところ「エーヴェルス、トマト・ソース」で検索してくる人がちらほらいる。はて面妖な、と思っていたら、どうもdainさんのところでこの小説が「劇薬小説ベスト10」に加えられたようだ。ろくに書誌的な情報も書かず、ただ作者名と作品名を記しただけなのにわざわざ探して読んでくださったdainさんには頭がさがる。私が同様の質問を出してこういうそっけない回答がきたらどうだろう。いちおうは「読みます」と書いても、たぶんじっさいに読むことはないだろう。

しかし、私がこの小説の書誌的情報を書かなかったのには、検索すればすぐに出てくるということは別としても、もうひとつ理由があった。というのも、この小説に邦訳があることを知ったとき、その訳者名をみて、これはうかつには人にすすめられないぞ、と思ったからだ。この訳者のものを過去にいくつか読んで、いずれもひどい幻滅を味わわされた私としては、できれば原書、それが無理なら外国語訳で読んでほしい、という思いがあった。

とはいうものの、海のものとも山のものとも知れない小説のためにわざわざ原書(あるいは外国語訳)を買い求める人がいるだろうか。そういう点でも、じつに不親切で中途半端な回答だったと思う。ほんとうなら自分でその雑誌を読んでみるべきだったのだ。そのうえで紹介すべきだったと思う。

まあ、いずれにしても現行の翻訳はdainさんをして感嘆せしめたのだから、私の心配は杞憂だったわけで、ほっと胸をなでおろしている。

「トマト・ソース」は台かなにかに下半身を固定された二人の格闘家がナイフで互いを切り刻む話。その格闘描写がとにかくすさまじくて、私は読んでいるあいだ、心臓がのど元までせり上がってくるような息苦しさをおぼえた。頭はぐらぐらするし、脂汗はにじんでくるしで、近ごろこれほど真に迫った残酷小説は読んだことがない。冒頭にコリダ(闘牛)に関する記述があるが、これはまさに文字で読むコリダといってもいいような小説だ。

この小説を読んでいて思い浮かぶのは、ゴヤの「黒い絵」のうちの1枚、砂漠でふたりの男が骨かなにかで殴り合いをやっている絵だ。あの骨をナイフにもちかえれば、この小説の挿絵になる。とはいっても、こちらは黒い絵ではなくて赤い絵だ。なにしろまわりには鮮血が飛び散っているわけだから。そして、戦う男たちはすでに目も鼻もないのっぺらぼうの肉塊と化している。ちょうどフランシス・ベーコンの絵にあるようなアモルフな肉塊に。