劇薬小説


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「どくいり・きけん」な小説というので私もささやかながらオススメをあげておいたが、じっさい劇薬小説というのは多いようで少ないと思う。まず読む側の経年変化により、かつての劇薬が劇薬でなくなるケースがある。十代で読んだときはあんなに強烈だったのが、いま読み返すとなんとも……というやつだ。劇薬は効果が強烈なぶん、さめるのも意外に早い。再読、三読にたえうる劇薬小説がどれだけあるか。ほとんどないといってもいいのではないか。

いやいや、いっときのエクスタシーが得られればそれでいいんだ、という意見もあるだろう。そういうひとも、次から次へと刺激のつよいものばかり読んでいては、だんだん感覚が麻痺してきて、たいていの劇薬小説ではなにも感じなくなってしまう。人間は刺激にはすぐになれてしまうからだ。そして、そんな重度のジャンキーみたいなひとほど、ちょっとした純愛小説に手もなくやられてしまうことがある。

そんなわけで、私は劇薬はあまり危険ではないと思う。ほんとうに危険なのは緩慢な毒、つまり速効性はないが、こいつにいったん噛まれたら一生かかってもその毒が消えない、というような種類のものだ。こういうのが真の有害図書なのである。そしてそういう有害な本にめぐりあえる、いや、不幸にしてめぐりあってしまうのは読み手が若いときに限られる。

私の場合、ひとりあげるとすればボードレールかなあ。まったく若いときに最悪の作家につかまってしまったという気がする。いまではもう骨の髄まで毒されています。彼のおそろしいところは、毒が体内で増殖すること。いろんな他の毒素を自分のまわりに引き寄せるといってもいい。そういう種々の毒が相乗効果を発揮して、気がつけば現実にはまるで適応できない心性が形成される。こんないまわしい詩人はほかにはいない。

といっても、いまの若いひとがボードレールを読んだらどうだろう。なにこの古臭い詩、で一蹴されるのが落ちではないか。それならそれでおおいにけっこうなことだ。ボードレールは原罪の痕跡をなくすことが人類の進歩だといった。ボードレールの毒素を消すこともまた人類の進歩ではないだろうか。