ある英文学者のこと


最近「雑」ばかり書いているのは、もう本にしろ音楽にしろネタ切れ気味で、あまり書くことがなくなっているせいです。「両世界」とはもともと本と音楽の世界のことで、このあたりを中心に日記を書こうと思ってはじめたのですが、世界をそんなふうに狭く捉えているとやはり息苦しい。で、ほかのことが書きたくなるのです。しかし、ほかのことといってもとくに何もないんですね、これが。リア充というのとも違うし、まあ一種の倦怠期みたいなものだと自分では思っています。

長く日記をつづけていると、どうも男は評論家になりたがり、女はエッセイストになりたがる傾向にあるような気がします。ざっと見渡したところでも、論客というのはいまだにけっこういるものです。まあ当人が好きで書いているのだから傍から文句をいう筋合はないのですが、何年かたって自分の書いたものを見たら、たぶん穴にでも入りたくなるんじゃないでしょうか、そういう人々は。時評というのはプロでもなかなかむつかしいのに、素人がやって満足なものができるはずはありません。もっとも、いっときの自己満足は得られやすいので、それがこういった人々を引きつけているのかもしれません。

エッセイのほうもむつかしいといえばむつかしい。これは何といっても書き手の「人」があらわれますから、人柄が魅力的でないとなかなかエッセイなどは書けないと思います。ちょっとしたことを書いてもおもしろく読ませる人がいるでしょう? あれは文章力なんかではなく、もっと全人間的なものが滲み出しているからこそできることなのです。すぐれたエッセイは、いやすぐれていないエッセイでも、それゆえに文学的なものに参与することができるわけです。文学のなかではあまり大きな顔はできないかもしれないが、ともかく文学であることには違いありません。

そういう文学としてのエッセイについて、私がいまでも思い出すのは、英文学者の厨川白村の書いた「象牙の塔を出て」という文章。もうずいぶん古いもので、1920年に出た同名の雑文集に入っています。これはもう何回読みなおしたかわからない。何度読んでもそのたびにおもしろい。エッセイについてのエッセイ、一種のメタ・エッセイといえばいいでしょうか。

厨川白村といっても知っている人はもう少ないかもしれません。大正期に活躍した英文学者で、私なんかはこの人の書いたものを読んで英文学とはだいたいこんなものだという見当をつけました。たぶんいままででいちばん影響を受けた人の一人だといえます。彼は「近代文学十講」という本を書いて有名になったのですが、その序文を見ると、自分は一介の文学研究者にすぎず云々といった謙虚な言葉が並んでいるので、なるほどそういう人かと思っておりました。ところが、彼のエッセイを読むに及んで、彼に対する見方がすっかり変ってしまいました。凡俗を蹴散らし高邁な理想を追うその姿には、文学研究者どころか、まさに闘士の気迫がみなぎっていて、いっぺんで彼が好きになったことをおぼえています。

そんな彼の「象牙の塔を出て」をここで紹介したいのですが、ものがエッセイだけに、どうにも紹介がしづらくて困ります。ここでは部分が全体に宿っているばかりではなく、全体が部分に宿っているからです。枝葉を切り落とすともうそれだけで全体の意味合いが変ってしまいます。どんな小部分も有機体の一部として全体と連関をもっているのです。こういったことを見ても、エッセイというものが詩に近い形式であることがわかるでしょう。

冒頭の一節はこうです。

「なぜもっと寛いで飾り気なく物が言えないのだろう。気取って固くなったり、論理の軽業をやったり、有りもしない学問を振り廻して利巧ぶったりなぞしないで、もっと素直に、もっと無邪気に率直に、そしてまた自然のままに物を言ったって、何も値打が下るわけではあるまい」

どうです、カッコいいと思われませんか? 私なんかはこの冒頭だけで白旗をあげたも同然です。

「小説や戯曲や詩歌と共に文芸作品の一体としてのエッセイは、議論とか論説とかいうこちたき類の物ではない。いわんや参考書という他人の書いたものの中から勝手放題に失敬して来て寄せ集めた「ごもく鮨」みたような論文なぞと思えば、それこそ大間違いである」

「ある人はエッセイを随筆と訳したが、それも当らない。徳川時代の随筆物などは多くは物識りの手控か衒学者の研究断片のようなもので、今の学徒が謂うアルバイトの小なるものに過ぎなかった」

「事なかれ主義の徳川三百年の政策のために、日本人は骨抜き鰌になってしまった。小利巧な者がますます小利巧になって、馬鹿者の存在を許さない国ができた。筆さきだけの技巧に優れた者が芸術界に覇を称したり、演説一つ満足にやれない者が政党に幅を利かす不思議な立憲国ができてしまった……わたくしは徳川政策のためだと言った。なぜかなれば、戦国時代なぞのことを考えてみると日本人はもっと煮え切っていたからだ、もっと徹底的で、誤魔化しではなかったからだ」

「わたくしはもっと多く読めと言う、もっと多く働けと言う、もっと多く喋舌れと言う、もっと多く美味い物を喰えと言う。そしてもっともっと馬鹿になって深く考え込めと言う」

引用しているときりがないのでやめますが、とにかくこれを読んでいると、100年前の日本もいまの日本もあまり変らないことがよくわかります。そして、厨川白村は同時代の日本を、まるで旧約の預言者かバプテズマのヨハネみたいな口調で切って切って切りまくるのです。同じような鬱屈をかかえているものには、こういった文章は胸のすくような爽快さがありますが、ここでも文の流れはやはり本来のエッセイから逸脱して議論のほうに傾いていて、男の評論好きというのは骨がらみのものなんだな、と思わせます。

厨川白村の本は、新本ではたぶんもう出ていませんが、古本屋にはけっこう転がっているので、探すのはそんなにむつかしくありません。もし古本屋で名前を見かけたら、ぜひ買って読んでみてください。といっても、本には読むべき時期、というか読むにふさわしい年齢があるので、あまり年とったひとにはおすすめできませんが、文学に関心のある若いひとにはきっとおもしろく読まれるだろうと思います。