コントラバス女性論(つづき)


楽器を複数台所有している人をよく見かける。それはとくにギター弾きに顕著だ。そんなに同じようなものをいっぱいもっていてどうするのか、と思うが、本人はそれぞれに違いがあって手放せないらしい。

私はといえば、ほんとうに気に入ったものを一つだけ所有するのが自分の性にあっている。これは昔からそうで、この気質はもう改まりそうもない。もっとも、ほんとうに気に入ったものを選び出すためには、無数にあるものをいちいち試さないといけないわけだが、現実にはそれは不可能な話。手の届くかぎりのところで、懐具合も勘案しながら妥協しなければならないのはやむをえない。

そういう点で、楽器選びは結婚相手選びと似たようなところがある。そしていったん自分のものになった以上は、その相手に忠誠をつくすのは義務のようなものではないか、と思うわけだ。まったく違うものに浮気するのは仕方ないとしても、同じ種類のものに色目を使うのは許すべからざる行為に思われる。ましてや他人の所有物を羨望のまなざしで眺めるなんてもってのほかだ。

というわけで、運命の見えない糸によって自分と結びついた楽器だが、時間がたつとともに、いろいろと不備なところが目についてくる。ベースは前にも書いたとおり、世界でいちばん扱いにくい女性だから、よけいにそういうところが目立つようだ。大方の女性と同じく、ベースはアクセサリーにうるさい。具体的にいえば、弦、弓、ピックアップなど。

まず弦だが、最低でも1セット二万円からする。どういう弦がいちばんフィットするか。これはじっさいに張ってみないとわからない。わからないが、しかし二万円以上もするものをそう再々変えるわけにもいかない。高価なものしか着ない女性のようなもので、安物で間に合わせることができないのは貧乏人には痛すぎる。しかもそれが似合うかどうかはじっさいに着てみないとわからないのであってみれば。

次に弓。これがまた千差万別で、高価な楽器ほど高価な弓を要求するのは、女性が美しければ美しいほど装身具に高価なものを要求するのとよく似ている。まあ、こっちとしてはありきたりの宝石ですまそうと努力するのだが、「そんな安物じゃあたしの値打ちが下がっちゃうわ」といわれればどうするか。泣く泣く高級品を与えるしかないのではないか。

次にピックアップ。これは必要不可欠というわけではないし、むしろないほうが楽器自体の価値は高まるのだが、しかしジャズでアンサンブルに参加するためにはこれがないと音が埋もれてしまう。ことにドラムというデリカシーのない(?)楽器の隣に位置すると、どんなにがんばっても音量の点で太刀打ちできない。そこでピックアップの登場となるわけだ。これは女性の場合でいえば化粧にあたる。すぐれたピックアップとは、素顔の美しさをそこなわずにそれをできるかぎり引き立てるような化粧品に相当する。なにがなんでも目立ちたいというのであれば、どんなものを使ってもそれなりに音は大きくなるけれども、化け物のような化粧をした美女をだれがありがたがって眺めるだろうか。化粧法としてのピックアップ選びもなかなか一筋縄ではいかないものなのだ。

というわけで、いろいろと手間のかかる女性なのだが、しかしこれを抱きかかえて鳴らしていると、ときになんともいえないヴァイブレーションを感じることがある。そのヴァイブレーションというのは心理的なものであるとともに肉体的なものでもある。楽器自体が文字通り振動しているのだ。それもエンドピンからヘッドにいたるまで、楽器の全体がぶるぶると鳴動している。あたかも全身で喜悦をあらわす女性のように。

そういう一体感が味わえるからこそ、このやっかいな楽器(金のかかる古女房といいかえてもいい)となかなか縁が切れないのだと思う。