コントラバス女性論


いちおうこんな題名をつけてみたが、うまく書けるかどうかわからない。

きょうはS大の学園祭に招かれて、ジャズのスタンダードを何曲か演奏した。このイベントのために、埃をかぶったベースを取り出して数日前からおさらいをやっていた。新しく来た隣人には「変な野郎だな」と思われているかもしれないが、そんなことを気にしているわけにはいかない。8曲マスターしなければならないうえに、今週は会議やなんかであちこち引っぱり回されたので時間的にも余裕がないのだ。

そんな泥縄式の準備だったが、演奏はそこそこ無難に切り抜けることができた。しかしこの「無難に」というのが曲者で、それはジャズにあってはなにも表現していないことに等しい。ミスさえしなければOKというわけにはいかないからだ。たとえ少々ミスをしても、自分の表現したいことをじゅうぶんに表現することのほうがずっと重要ではないだろうか。たとえそれが素人の遊びであったとしても。

この自己表現ができないものだから、終ってからいつも満たされない気持になるのだが、その原因のひとつはもちろん自分の演奏技術の未熟なことにある。音楽においてはいくら着想がすばらしくても、それを表現するのはあくまで「手」だからだ。

ベースの技術の基本は「シマンデル」という教則本に書いてある。これをちゃんとやっていれば、少なくとも技術面では後ろめたい気持にならずにすむ。しかし、これをまじめにやっていると、技術的にはともかく音楽的にはきわめて凡庸な感性の持主になってしまいそうな、そういったたぐいの教則本でもある。2冊目はおもにハイポジションを扱っていて、これはこれで興味ぶかい技術の体系だが、ベースでそんな曲芸まがいのことをやってどうするのか、という疑問もあってほとんど手をつけていない。どうせやるのなら、超ハイポジション、すなわちフラジオレット奏法をハッタリとして身につけるほうが気がきいているのではないか。

いずれにせよ、弦楽器においてはポジション移動がいちばんの難点になってくる。異なるポジションをいかにスムーズに連結するか。これが左手に課せられた難問だ。で、弓で弾く場合、これにさらに右手のボーイングがからんでくる。ベースの場合、ただでさえ振りが大きくてやっかいなボーイングに、楽器そのものの大きさと4度の調弦からくるポジション移動の多さが加わるので、スマートに弾くには多大の努力を必要とする。そしていちばん気落ちするのは、こういったことをすべてクリアしても、聴いているぶんにはさほどたいしたことをやっているようには聞こえないことだ。

というわけで、ベースが「世界でもっとも扱いにくい女性」*1といわれることにもじゅうぶんな理がある。この女性としてのベースについて書きたいと思っていたのだが、ちょっと前置きが長くなりすぎた。また気が向いたら続きを書こうと思う。

*1:この卓抜な比喩はもともとジョン・マクラフリンがギターについていったものだが、ベースについてはギター以上にあてはまると思う