ロバート・オルドリッチ「何がジェーンに起ったか?」

sbiaco2007-07-07



1962年製作のアメリカ映画。楳図かずお氏の「おろち」(姉妹)に霊感をあたえたというので気になっていたもの。しかし、じっさいに見てみると、両者はあまり似ていない。似ているのは、姉妹の愛憎を描いていることと、被害者だと思われていたほうがじつは加害者だった、という落ちの部分だけだ。

内容はといえば、ヒッチコックの映画から美男美女を外して、かわりに姥桜(というより葉桜に近い)二人を配したスリラーといえばいいか。主人公のジェーンは、子役として成功した少女時代の夢に固着したまま年だけとってしまったデカダンスの体現者としてあらわれる。この少女時代の夢を象徴しているのが「ベビー・ジェーン人形」という、ぶきみなまでにリアルな等身大の人形だ。この人形を劇場の外の売店にいっぱい並べて売っているシーンには驚いた。いま日本でアイドルの出演するホールの外でこういう等身大の人形を売ったらどういうことになるか。考えただけでもおそろしい。

ジェーンはこの人形を一体だけ手元において、華やかだった自分の少女時代を思い返すよすがにしている。いや、思い返すというよりも、この永遠に年をとらない人形は、彼女の内部にある不可侵の核を外部に投影したものとみたほうがいいだろう。精神分析的な映画では「よくある話」かもしれないが、しかしこの人形はたんなる小道具にとどまらないだけの魅力をもっている。

それだけに、後半に登場するマザコンのピアニストが、酔っぱらったあげくこの人形にいたずらをする場面にははっとした。どうもこの映画はこういうところで気をもたせすぎる。あまり書きたくないけれども、私がこの映画でいちばんハラハラしたのがじつはこのシーンだった。

古い(古典的な?)映画だけあって、話の展開が途中で読めてしまうところも少なくないが、全篇をおおう恐怖感と悲哀感はちょっと比類のないもので、ことに末尾の部分、謎の真相を知ったジェーンが、あらゆるものから解き放たれたかのように海辺で踊るシーンには心をうたれた。彼女は完全に気が狂ってしまったのだろうか。それとも、この瞬間にこそ彼女は正気に返ったのだろうか。どちらともとれるけれども、私としてはやはり後者だと思いたい。