紙と鉛筆


comcさんがラテン語を再開されるというので、そのページにあった呉茂一の入門書のリンクをたどると、下のほうに「この商品を含む日記」というのがあって、だれかのラテン語学習日記があがっていた。こんなものがあったか、と思って見てみると、もうずいぶん前から更新がストップしている。日記の更新がストップしただけか、それともラテン語の勉強もやめてしまったのか、それはわからない。

しかし、たぶん前者、つまりラテン語の勉強は続けているが、日記を書くのをやめてしまっただけなのではないかと思う。というのも、この手の学習日記というのは続けるのにひどく手間がかかると思われるからだ。手間がかかるうえに学習の面でさしたる効果もなく、しかもそんな日記を見るひともほとんどいない。ついめんどくさくなってやめてしまう気持はよくわかる。

ラテン語ではないけれども、たとえばカントの本を精読する、というような日記をいくつか見たことがある。それらも、いつしか消滅するか、あるいは更新がストップしてしまっているといった状態だ。

こういう残念な結果になる理由のひとつとして、パソコンが両手を使わないと入力できないということがあげられはしまいか。その点、紙のノートなら片手に鉛筆をもって、もう一方の手で本のページをめくりながら抜書きでも感想でも好きなように書ける。レイアウトに気をつかう必要もないし、文字以外の記号も自由自在に使うことができる。

メモをとるという基礎作業には、こういう鉛筆とノートのもつ利点を最大限に利用すべきだろう。パソコンですべてがまかなえるわけではないのだ。

とえらそうなことをいいながら、私はといえばノートさえ使っていない。そこらへんの紙にメモを書きつけては次々に捨てていくという毎日。まさにチラシの裏だが、こういうやり方が自分にはあっているようだ。こういったメモ類は、しばらくたってから見ると、なにが書いてあるのかさっぱりわからないことが多い。こうなるともうゴミ以外のなにものでもないので、次々に捨てていくという次第。

まあ、結果としてゴミになっても、メモをつけている瞬間には頭の体操になっているのではないか……と、せめてそう思いたい。