ゲーテ「イタリア紀行」(下)


1787年6月、シチリアからローマに舞い戻ったゲーテは、翌年4月まで10ヶ月のあいだこの地に滞在する。この下巻はまるまるその第二次ローマ滞在の記述にあてられている。あいかわらずあちこち出歩いてはいるものの、これはもはや紀行というよりもむしろ省察というべきものだろう。じっさいここでのゲーテは外部よりももっぱら内部に沈潜しているかにみえる。ゲーテのイタリア旅行はすでに収穫期に入っているのだ。

この部分であらためて思うのは、ゲーテの骨がらみになったプロテスタント的な気質のことだ。こういうひとだとは薄々感じてはいたが、この本を読んでやはりそうだったか、という確信に変った。彼にとっては無秩序は死よりも厭わしいものだ。そういう彼が、たとえばローマの謝肉祭を見てどう感じたか。ひどく詳しい記録を書いているけれども、けっきょくのところは傍観者として眺めるにとどまり、その熱狂をみずから分与することはけっしてしない。そしてついにはこういう感想をもらす、「自分自身がそれに感染しないでいて、他人の馬鹿さわぎを見ているのは、おそろしく退屈なものである」と。

イタリア紀行の上巻の感想で、ゲーテと鴎外との気質上の類似というようなことを書いたけれども、下巻を読んでその印象はますます強まった。

この下巻では、ゲーテの淡い恋愛(むしろ片思い?)のことが語られているのもおもしろい。この萌芽のうちに摘み取られてしまった恋は、ゲーテの第二次ローマ滞在にふしぎにみずみずしい色調を与えている。ゲーテといえば、恋愛においても連戦連勝だったような印象があるが、こういうのを読むと意外にわれわれに近いナイーヴなところもあったようで好感がもてる。

いよいよローマをあとにすることになったゲーテは、月明かりに照らされた街をみながら、ふとオウィディウスの詩句を思い浮かべる。そして、1800年前のローマの詩人の心境にみずからの立場を重ねあわせる。こういうことがさりげなくできるところにゲーテの教養の深さと、その美しさとを感じる。みごとな掉尾というほかない。

つまらないところも多々あるが、やはりこれは紀行文学の傑作として今後もながく読みつがれていくだけの価値のあるものだと思った。