ゲーテ「イタリア紀行」(中)


上巻(ローマ篇)とは打って変って、この中巻(ナポリシチリア篇)はじつにすばらしい。ローマでのゲーテはかつて書物などから得た教養というものに縛られていたようなところがあるが、ナポリへきてようやく彼本来の自然人としての資質を取り戻したかのようだ。ナポリへ来た当座、彼は「ローマにいると勉強をしたくなるが、ここではただ楽しく暮したくなる」と洩らしている。といってもゲーテのことだから、たんに楽しく暮すだけですむはずはなく、どこへ行っても知識欲は彼についてまわる。On n'apprend qu'en s'amusant(楽しみながらでないと学べない)という言葉を思い出すのはこういうときだ。

この「楽しみながら」という要素はこの巻のいたるところに見出される。ちょっと度を過ごしていると思われるのは、ゲーテが素性をいつわってカリオストロの家族と面談するところだ。これはいくらなんでも悪ふざけがすぎやしまいか。いくらカリオストロが詐欺師だといっても、彼の身を案じている家族に口からでまかせをしゃべっていいというものではないだろう。この訪問の意図だけはよくわからなかった。

この巻でおもしろいのは、ゲーテが自分の美学にまっこうから対立するようなパラゴニア親王の別荘をひどく克明に描いているところだ。しかし、不愉快でたまらない、といいながらもこんなに詳しい紹介をしているところをみると、ゲーテもやはりバロック的なものにはまったく無関心ではいられなかったのだろう。パラゴニア荘の写真はウェブ上でもたくさん見ることができる。たしかに安っぽいキッチュだが、私としてはこういうものなりの味わいにも捨てがたいものを感じてしまう。

ゲーテのイタリア旅行はなかば微行のようなものだが、それでも一般人の旅行とはだいぶ違っていて、行く先々で貴顕紳士の歓待をうけている。これはやはりゲーテ級の人物にあってはじめて可能になることで、われわれがじっさいにイタリア旅行をしても、そのような体験はまずできないだろう。そういう特権的な旅を紙上で体験できるのもこの本の魅力のひとつだと思う。