ストリンドベリ「地獄、伝説」


ゲオルク・ミュラー版のストリンドベリ「地獄、伝説」がとどく。この本は1920年の刊行で、あのドイツ文字で書かれているのかと内心おっかなびっくりで発注したのだが、到着した本をみると、いまの文字とまったく変りなくてほっとした。戦前だからといって、必ずしもドイツ文字で書かれているとはかぎらないようだ。たしかヒトラーの功績として、アウトバーンの敷設とドイツ文字の撤廃とがあげられていたような記憶があるのだが、これは私の思い違いかもしれない。

しかし、そんなリスクを冒してまで手に入れようとしたのにはいろいろとわけがある。まずはじめに、いまの日本で私くらいストリンドベリのこの本に対してばかげきった愛着をもっているものは少ないだろう。じっさい、この日記を書きはじめたのも、新潮社版の「地獄、伝説」(秦豊吉訳)を手に入れたことがきっかけになっている。「地獄」については英訳もオリジナルの(?)仏語版も河出書房の古い全集版も手に入れた。そうこうするうちにも、なにかと音にきくシェリングの独訳のことは気になって仕方なかったが、今年に入ってから集中的に努力してドイツ語がやっと楽に読めるようになってきたので、今回思い切って発注したのだった。

届いた本をみてまず驚くのは、体裁が新潮社のストリンドベルク全集のそれとそっくりなこと。黄色いクロス装で、意匠もほとんど同じだ。たしかに当時のストリンドベリの定本としてはシェリングの訳がだんぜん他を圧していたらしいが、それにしてもここまでそっくりな本を出すとは、当時の新潮社の体質が推し測られておかしくなってくる。

それともうひとつ驚くのは、本の保存状態がきわめていいことだ。そんなにいい紙を使っているようにもみえないのに、これが90年近くも前のものだとは思えないほど、まったく損傷をこうむっていない。これはたぶん気候の問題がおおきく作用していると思われる。日本のような高温多湿の気候では、よほど上質の紙を使わないとこうはいかないだろう。もちろん、ヨーロッパの古本でもなかにはひどいものもあるが、一般的にいって日本の古本から想像されるようなおんぼろ感はないと思っていい。

最後にもうひとつ、この本の発する匂いだが、これをかいでいると、自分が子供のころ、はじめて大きな本屋へ行ってそこの洋書部に足を踏み入れたときの感興がよみがえってくる。そのときと同じ匂いがしているからだ。じっさい、匂いくらい記憶に喚起しにくく、しかも強烈に記憶を喚起するものもないと思う。