フッセル「純粋現象学及現象学的哲学考案」(上巻)


池上鎌三訳の岩波文庫(1939年初版)。これほど読み手に苦痛をしいる本も珍しい。これを正しく読むためには、とりあえずバカになりきらないとだめだ。中途半端にわかったような気になるのがいちばん禁物なのである。とりあえずバカになること。フッサールの言葉をいっさい批判を加えずにそのまま受け取ること。ここから始めないことには現象学もくそもない。

しかし、これこそ言うは易く行うは難しで、バカになりきるのもなかなか大変なのだ。どうしても自分のなじんでいる知識や思考に重ね合わせて理解したくなってしまうからだ。この衝動を括弧に入れること。この括弧入れがまずバカになるための前提だろう。これはフッサールの方法の自分なりの適用でもある。

さて、バカになりきるためには、もうひとつぜひともやっておかなければならないことがある。それは原文を手に入れて対照してみること。考えただけで気が重くなる作業だが、これをやってこそバカに徹することができるというものだ。「イデーン」の原文はネット上に見当たらないようなので、泣く泣くドイツのアマゾンに発注した。4000円ほどの出費。

前に冗談半分に「現象学は東洋思想だ」と書いたけれども、じっさいフッサールの思想には仏教哲学じみたところが少なからずある。その印象を助長しているのが、「諦視」だの「視向擬向」だのといった見慣れない術語の頻出だ。こういう意味のわからない字をじっと見つめて、漸悟的に理解するのは東洋思想特有の行き方ではなかろうか。

そういう印象が正しいかどうかを見極めるためにも、原文との対照は不可欠だろう。