ピエール・ルイス「メレアグロス詩集」


「ビリティスの歌」で有名なルイスの訳詩集(1928年、モンテーニュ書店。初版は1893年刊)。これを読んですぐに気づくのは、構成が「ビリティス」と瓜ふたつなことだ。冒頭に「メレアグロス伝」がおかれていて、次に章分けにされた詩が並び、順に読んでいくことで詩人の一生がたどれるようになっている。違っているのは、ビリティスがまったく架空の詩人なのに対し、メレアグロスは実在した詩人であることだが、そんなことはどうでもいいと思ってしまうくらい、この訳詩集はルイスの色に染め上げられている。

「ビリティスの歌」で有名な、と書いたけれども、これはドビュッシーの書いた「ビリティスの三つの歌」の詩人として有名、といったほうが実情に近いかもしれない。ドビュッシーの最高傑作に霊感を与えたおかげで、ルイスはずいぶん得をしている。

ドビュッシーはこの歌曲とはべつに、「ビリティスの歌」と題する朗読のための付随音楽を書いているが、これは女優のカトリーヌ・ドヌーヴの朗読によるディスクがグラモフォンから出ている。非常にかわいらしい曲集で、ドヌーヴの朗読がまた独特の生気を吹き込んでいる。じっさい、今回メレアグロスの訳詩を読みながら、脳裏にドヌーヴの声がちらついて仕方なかった。男の書いた詩であるにもかかわらず、だ。いかにこの両詩集が酷似しているかわかるだろう。

それにしても、平易な言葉を使って濃密なポエジーを感じせせるルイスの手腕もたいしたものだと思わざるをえない。メレアグロスの詩は、呉茂一の奇蹟のような訳詩集「ギリシア抒情詩選」(岩波文庫)にも何篇か訳されているから、そのなかからひとつ選んで両者の訳しぶりを比べてみよう。


とうに早や白い菫も咲きそろひ、しめり好きの水仙の花も開いて、山辺には早百合もそここ咲きまとふ。
さらにはや 恋ふ人のまと、花のなかにも時の花、ゼーノフィラーの、その睦ごとの楽しい花の 薔薇をさかりに、
牧の野よ、何故かひもなく 髪なびかせて笑ひかがよふ、吾妹(わぎも)こそ 香ぐはしい花かざしにも遥かまさるを。


Deja la giroflee blanche fleurit, et fleurit sous la pluie le narcisse, et fleurissent au hasard des montagnes les lis.
Et deja l'amoureuse, parmi les fleurs devenue fleur Dzenophila fleurit, douce rose de Peitho*1.
Prairies, sous vos vaines chevelures brillantes pourquoi riez-vous? L'enfant vaut toutes vos couronnes parfumees.

*1:ペイトー、説得と雄弁の女神