ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」

sbiaco2007-04-17



ベルリンフィルの名演ということでcomcさんに薦めてもらったもの(カラヤンベルリンフィル、1966年録音、グラモフォン)。アマゾンで1000円で出ていたので飛びついたが、あとから考えてみると、この66年盤よりものちの81年盤のほうが音はよさそうだ。失敗したかな、とも思うが、買ってしまったものはしかたがない。

さて、いちおう名曲らしいので何度も繰り返し聴いてみた。しかし、何度聴いてもよさがわからない。すばらしいと思ったのは第一楽章の最初と最後だけ。第二楽章は安物の映画音楽みたいだし、第三楽章もおおむね退屈、第四楽章の最後の盛り上がりもどこか虚ろで寒々しい。

まあ今回はベルリンフィルの演奏を聴くのが主眼なので、音楽のほうはどうでもいいようなものだが、しかし音楽から演奏だけ切り離して聴くというのは自分にはとうてい無理だということがわかった。曲と演奏とは、ある意味で形式と質料との関係に似ていて、互いが互いの関数になっているようなところがある。スコアをみて音が頭のなかで鳴るような人はべつとして、ふつうの人間にはいったん音になったものから形式だけすっぽり抜くなんてことができるわけがない。

それでも、いままで聴いた3枚のCDから、ベルリンフィルカラヤンの音というのはなんとなく理解できたような気がするからふしぎだ。こういう理念化のはたらきを記述的に研究するのが現象学なんだろう。しかしいまの自分にはそういうことをする能力も意志もない。とりあえず「なんとなく」ですませておくことにする。で、その音が好きか嫌いかときかれれば、残念ながらあまり好きではないというしかない。

せっかく薦めてくださったcomcさんには申し訳ないが、こういう否定的な感想になってしまった。じつはきのう、もっとニュートラルで当り障りのない感想文を書いたのだが、一夜明けて読みなおしてみると、自分が書いたのではないような気持わるさを感じたので、あらためて書きなおしてみた。お気にさわったらごめんなさい>comcさん