60年代後半のポップス


ビートルズをBGMに使っているところ(食堂やレストランなど)はいまでも多いみたいだ。この前も別々の店でたてつづけに二度聞かされた。この息の長さをどう考えるか。彼らが解散してからすでに37年、その活動期間を考えると、ほぼ半世紀も昔の話だ。そんな古い音楽がリバイバルではなく現役としていまだに聴きつがれているというのは驚き以外のなにものでもない。

これはもちろんビートルズが偉大だというのが第一の理由だろうが、それ以外にも、いわゆるポップ・ソングの世界では、ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルという構成がスタンダードになっていて、その点ではビートルズ時代とちっとも変っていないこともあるに違いない。このギター・トリオ+ヴォーカルという形がつづくかぎり、ビートルズは不滅だという気がする。なにしろそういうフォーマットではビートルズを超える楽曲はいまだに出ていないのだから。

といっても、いまさらビートルズを聴こうとは思わない。やはりあれは子供の音楽だ。いい大人が聴いて楽しむにはちょっと不満が残る。ただ、ビートルズの音楽は、彼らの固有の表現である以上に時代の音でもある。その点が私などには興味ぶかい。というのも、60年代後半から70年代初頭にかけての時期に出た音楽はどれも共通のテイストがあって、これが自分にはひどく魅力的だからだ。

それをひとつの音であらわすとすれば、根音DにAm7を加えた和音がそれにあたる。ハンコックの「処女航海」の冒頭にあらわれるあれだ。あの和音は60年代後半を象徴するような響きだと思う。

去年、当時のジャズ・ロックを代表するようなCDを何枚か買ったが、そこでもあの響きは(厳密に同じものではないが)根底にこだましていた。この時代の音が感じられるかぎり、自分にとって凡作というものはない。ありえない。ややおおげさにいえば、この時期に出たものすべてが名盤なのではないか、とまで思ってしまう。……

先日、クリームの「ディズラエリ・ギアーズ」を取り出して聴いてみたら、思っていた以上にすばらしいのに驚いた。このグループではなんといってもジャック・ブルースが自分の関心の的になっている。彼のソロ「シングス・ウィ・ライク」は、自分にとって音楽上の(というより演奏上の)ターニング・ポイントになった私的名盤だ。これについてもいつか書いてみたい。