由良君美「言語文化のフロンティア」


1975年に創元社から出たもの。題名からもある程度察しがつくが、著者の大学人としての性格がつよく出ている。そのぶん、趣味人、風流人としての由良君美は後方へ押しやられている。

といっても、そういう学問的な(というよりも勉学的な)色彩の濃い本書でも、趣味人としての著者の姿がまるきりうかがえないわけではない。たとえば、この本の中心的な話題として言語論があるが、著者はそのなかで日本語の特質、というか修辞的美点を考察しながら、やや唐突に「ルビの美学」に言及する。

要するに、ルビというのがいかに日本語の表記につよい影響を及ぼし、その潜在的な可能性の枠を押し広げてきたかを説くわけだが、その背後にはルビつきの本で育った著者の個人的体験が透けてみえるようになっている。だからといって説得力が増すわけではないものの、やはりおのれの趣味を根底において書くほうがこの著者にはあっていると思わざるをえない。なかでも平井呈一のサッカレの訳を引き合いに出して解説するくだりは圧巻だ。

ルビはもともと補助的な表記として出発したものだが、やがてそれ自体が個性的な表記法になって、歌舞伎の外題のように右目と左目とに違った読みを要求するような遊戯的なものになってしまった。これを日本語を豊かにしたとみるか、あるいは匠気臭ふんぷんたるものにしたとみるかは、ひとによって評価が異なるだろう。

私はといえば、ルビの美点は認めつつも、それはあくまで趣味的、遊戯的なものにとどめておくべきだと思う。いいかえれば、現代の実用文には無用の長物なのである。めまいと書けばすむところを眩暈などと表記して、それにルビをふる(めまい? くるめき? げんうん?)なんてばかげてはいないだろうか。

由良君美はいっとき幻想文学のほうで有名になったけれども、この本を読むかぎり、むしろ資質的には林望氏なんかに近いのではないかと思う。それは英国流のジェントルマンであり、黄金の中庸すなわちコモン・センスを尊ぶ精神の持主のことだ。