P.B.シェリー「メドゥーサ」


をりしも時はぬばたまの 彼方の夜空あふぎつつ 
曇りし山の頂きに 横たはりたる女人あり 
はるか下界に遠つ国 かすむがごとく望まれき 
其の恐ろしさ、其の美(は)しさ この世のものとも思はれず。
其の唇と目蓋には なにやららうたき風情さへ 
そこはかとなくただよふと 見しよりすぐに目を打ちて 
炎のごとくあざらけく 深き淵より藻掻(もが)きつつ
輝きいづるものあるは 恐れと死との苦悶なり。 



なれど眺むるものの身を 石と化せしむその所以 
あへて恐怖といはんより むしろ優美と名づけんか 
其の上にこそかの死せる 女人の面影(もかげ)しのばるれ
其のかりそめの性(さが)つのり つひにまことと変ずまで
また想念を凝らしつも つひに及ばずなる日まで。 
これぞ美なるか、暗闇と 色あざやかな苦界をば 
解脱しえたるそのはての 調べゆたかな色合ひは 
人の息吹をつたへつつ 弥勒世界を現じたり。 



あたかも一の体より 生(お)ひいだしたるかのごとく
水漬(みづ)く岩場のはざまより よしなし草の生ふごとく
頭(かうべ)に生へるは毒蛇にて 叢(むらが)り蜿蜒(くね)り犇めきぬ。
おどろの髪のただなかに 乱麻のごとくもつれあひ 
果つるともなく巻きあひつ ひかる鱗を見せるさまは 
そが生ひでたる本体の 苦しみも死もあざみがほ 
いくつと数ふもいとはしき おぞき顎(あぎと)をうごかしつ
かたくこごりし虚気(ええてる)の 空をばきつと睨みたり。



かたへの石にとまれるは 毒を有つてふ守宮(やもり)なり
ゴルゴンの眸(め)に見入りしも やや放心のていたらく。
さるを化性(けしやう)の蝙蝠(かわほり)が かねてひそみし洞窟の
闇を切り裂くおぞましき 光に驚き、狂ひつつ 
静ごころなく舞ひいでて 空をかけりぬ、翩翻と。
あわてふためき舞ふさまは 燭の炎を慕ひつつ 
飛ぶ蛾の姿にさも似たり。さても如法暗夜の空の 
赫奕として輝くは 闇にもまさる怖ろしさ。 



そは恐怖(ものおぢ)と戦慄(おののき)の 嵐のごとき艶やかさ。
蛇(くちなは)の身のはなちたる 真鍮色の輝きは 
解きあかされぬ罪過(あやまち)に 火をとぼされしものにして
この輝きのゆゑにこそ 空に満ちたる異様(ことざま)の
雲のかすみとただよふを ありとあらゆる美と恐怖(くふ)の
変幻つねなき鏡へと 変じたりしもむべなるかな── 
御髪(みぐし)に蛇(くちなは)まじへたる かの女人の顔貌(かんばせ)は
死にありながら天国(はらいそ)を 濡れし岩より瞻望(のぞ)みたり。