吸血鬼映画考

sbiaco2007-02-01



この前、ドライヤーの映画についてちょっと否定的な感想を書いたが、この映画、ふしぎなことに見たあとでだんだんと効いてくる。道を歩いていても、仕事をしていても、ことあるごとにさまざまなシーンが脳裏に浮かんでくる。白昼夢のような印象が自分のなかでどんどん増殖されていくような気がする。やはり世評のとおり(?)、これは吸血鬼映画の最高傑作なのだろうか。

そう思うようになったのは、きのう見た「ノスフェラトゥ」が思ったよりつまらなかったことも影響しているかもしれない。一連のドラキュラ映画はストーリーという点ではどれも似たようなもので、最後には退治されてしまうことがはじめからわかっている。だから、ストーリーよりはむしろ細部のおもしろさを味わうべきで、今回DVDを買ったのも、そういうフォトジェニックな映像に期待を寄せてのことだった。映像なら、断片的に何度見ても楽しめるからだ。

その点、ドライヤーの映画はストーリーなどはあってないようなもので、もっぱら断片的な映像の集積から成り立っている。この相互に無関係な映像を次々に繰り出す手法は、通常の映画の作り方からすればかなり異質だ。というのも、こういうやり方では全体がまとまらないし、へたをすればたんなるナンセンスに堕してしまう。観客は「おとしまえ」をつけてくれることを映画に期待しているので、謎が謎のままで放置されるのは一般的にはあまり喜ばれないだろう。

ところが、こういう映画の作り方をしてもかまわない領域がたったひとつだけある(たぶん)。それはシュルレアリスム映画と呼ばれるもので、代表的なところではブニュエルの「アンダルシアの犬」や「黄金時代」があげられる。で、ドライヤーの「吸血鬼」は、どうもこの系列に置いたほうがしっくりくるようなのだ。吸血鬼映画(あるいは広く怪奇映画一般)として見たら失望するかもしれないが、吸血鬼をテーマとしたシュルレアリスム映画として見ればかなり満足できるのではないか。少なくとも自分としてはそうとでも思うよりほか、この映画のもつ魅力(それは確実に存在する)をうまく捉えることができない。

あまりうまくまとまらないが、この前の感想の補足としてとりあえず。