アッラ・フランチェスカ「愛の忠臣」

sbiaco2007-01-04



一年前からうすうす予感はしていたが、やはりモーツァルトをろくろく聴かないうちに2006年は終ってしまった。残念な気もするけれど、いっぽうでモーツァルトの呪縛から解放されたようなすがすがしさも感じる。だいたい、メモリアル・イヤーなんていうものはつね日ごろその対象になじんでいる人のためのものだろう。けっしてにわかファンを作るためのものではないはずだ。

さて、目下いちばん熱心に聴いている中世音楽だが、去年買ったCDで感想を書いていないのが2枚ある。きょうはそのうちの1枚について書いておこう。

"D'AMOURS LOIAL SERVANT" (ALLA FRANCESCA, Virgin Classics, 1999)

中世音楽を聴く楽しみのひとつは、同じ曲を異なったフォーマットで聴くことができることだ。厳密に楽器が指定されているわけではないから、演奏者の好みのままに楽器をかえて演奏してもかまわない。もちろん、歌詞のあるものを器楽だけで演奏するのもOKである。楽譜の読みも一定していないらしく、曲によっては音符そのものが変ったりもする。こういう方法が、中世音楽に驚くべき多様性を与えるとともに、ますますその全体像をみえにくくしている。何枚CDを聴いても、いっこうに「わかった」という気がしないのもそのためだろう。

このCDで演奏しているのは、アッラ・フランチェスカという男女4人からなるグループで、各自が歌も楽器も担当している。演奏技術は高くて、まったく危なっかしいところがない。きっちりと額縁に収まったような演奏。だからというわけではないが、ときとして良質のBGMにきこえてしまう場合もないではない。これは美質だろうか、それとも欠点だろうか。

いずれにせよ、ここに聴かれる演奏はどれも深さという要素を決定的に欠いている。すべては表層的で、可視的だ。音楽に可視的というのはおかしいかもしれないが、音楽を聴くということは、一面においては音を視覚化することだと思う。音楽における精神性とは、深さから生じる不可視なものの謂ではないだろうか。だから、深さというものがいっさいない中世音楽には、必然的に精神性もないということになる。

だからつまらない、と思うか、いやそこがいい、と思うか、それは聴く人の感性しだいだろう。ただひとついえることは、この精神性の不在において、中世音楽は現代音楽と意外に近い関係にあるということだ。そう考えれば、前に言及したキセル・マニア(音楽史の初めと終りしか聴かないファン)にもそれなりの存在理由があったことになる。