モーツァルト「春へのあこがれ」

sbiaco2006-11-24



モーツァルト・イヤーも残り少なくなってきた。ところで、今年の企画もので「モーツァルト大全集」というのが出ていたことをいまごろ知った。文字どおりの大全集で、24時間フルに聴いたとして、ぜんぶ聴くのに一週間かかるという膨大なもの。モーツァルトは35歳くらいで死んでいるはずだから、その短い生涯のあいだによくもまあこれだけ書いて書いて書きまくったものだ。モーツァルトにかぎらず、多作家というのは、いったいどうやって時間をやりくりしていたのか疑問に思うような人が少なくない。もちろん量よりも質のほうが大事なのはいうまでもないが、モーツァルトは質のほうでも一頭地を抜いているのだからすごい。

さて、この大全集には、アメリンクとボールドウィンによる歌曲全集も含まれていて、「歌曲とカノン」というくくりの一部をなしている。アメリンクの歌曲全集は前からほしいと思っていたので、この大全集盤を買おうか、とふと思ったが(ここでためらったのは、とくに聴きたくもないカノンがいっぱいはいっているから)、最近EMIからデームスの伴奏による「春へのあこがれ」が廉価盤で再発されて、ジャケットがいかにも60年代ふうで魅力的なのと、値段が1300円ということもあって、こっちを買うことにした。

で、じっさいに聴いてみたのだが、これは失敗! というのも、ここに聴かれる録音は、同じくEMIの「モーツァルトシューベルト歌曲集」ですでに知っていたものがほとんどだからだ。まあ、同じ録音を再編集して題名をかえて出すというのはよくあることなので、べつに腹もたたなかったが、それにしてもやはり金をケチったのはよくなかった。ここは迷わず大全集盤を買っておくべきだったのだ。いや、いまからでも遅くはない。モーツァルトへの「手つけ」のつもりで買ってみようか。

とはいうものの、今回買ったCDに収められたものだけでも、じゅうぶんにモーツァルト歌曲の精髄を味わうことができる。彼の歌曲は「可憐」という表現がぴったりで、それがまた若いアメリンクの声とみごとに調和している。意地悪くいえば、小学校の唱歌みたいなのだが、そういう素朴な歌もアメリンクの声で表現されると、りっぱな血の通った芸術になる。ときおり聴かれる「けなげな」フレージングには、恥ずかしながら思わず涙腺がゆるんでしまう。なにか、小鳥がせいいっぱい胸をふくらませて一途に「春へのあこがれ」を歌っているような「いじらしさ」を感じてしまうのだ。

この、胸をつきあげるような感興は、もはや「恋」と呼ぶべきものではなかろうか。そして、アメリンクは世界じゅうに私のような「耳の恋人」をもっているのだ。これも、意地悪くいえば「芸術とは売春である」という命題を裏書するものかもしれないが、しかし彼女の声はそんな私のよこしまな(?)思考をひたすら浄化してくれる。まこと、音楽とはベートーヴェンがいうように「いっさいの智恵や哲学よりも高い啓示」なのかもしれない。

このCDは、1970年代初頭に発売されて、日本でのアメリンク人気を決定づけたものらしい。その意味でも歴史的名盤といえるだろう。