マルセル・シュオッブ「ユートピアの対話」その3

sbiaco2006-11-23



アンブロワズ・バブーフは珍種の茸みたいな顔をしていて、ぴかぴか光る二つの点がつまり彼の目なのである。彼は長いこと歴史学をやっていたが、その方法は学問的ではないと思っていた。最初はテーヌの方法にならって、回想録や新聞や通信記録などから事実をかき集めては、そこから一般法則を引き出していた。が、そのうち、これらの事実の解釈について疑問をもつようになった。というのも、それらはいずれも第三者によって報告されたものか、あるいは二十年ものちに書かれた私的回想録か、あるいは一通の手紙による証言だったからだ。手紙というものはだれかにあてて書かれたものだが、ふつう、ひとはそこに事実を記すものだろうか? というわけで、バブーフはもはや実質的に権威ある史料しか評価しなくなった。領収書、遺言書、出生証明書、死亡証明書、裁判記録、公正証書のたぐいである。しかし、ここでも新たな困難が生じた。文書はたしかに、問題になっている人物がどこに住み、どんな年齢で、どれほどの稼ぎがあり、どれほどの財産をもっていたかを教えてくれる。しかし、それだけではその人物のひととなりはさっぱりわからない。歴史家はその人物をも、彼の考えたことをも描き出すことはできないのである。ここにおいて、まさしくアンブロワズ・バブーフその人が前面にせり出してくることになる。彼の記述する人物は、バブーフが自分なりに心に描くイメージにのっとって色づけされるというわけだ。これではもはや学問とはいえない。というのも、バブーフはバブーフを信じていなかったし、おのれの自我を歴史における真実の判断規準にすることにはさすがに同意しかねたからだ。

人生のこの時期にあたって、歴史学の迷妄からさめたバブーフは、それでも事実というものに未練をもっていて、ひとが彼の次の著書について質問すると、いつもこんな返事をした。

「わしはもう本は書かんよ。もしわしを幸せにさせてやろうというつもりなら、どうか「郵便辞典」をカードに写させてくれたまえ。少なくともそこにはなにか確実なものがあるからね。さよう、カード作りだ、うむ、カードを作らねばならん」

バブーフの精神を彼自身が正確に理解すれば、いつかは事実を学問的に解釈することができるようになるのではないか。そう思ってアンブロワズは心理学に接近し、それからただちに、確固とした地盤を求めて、解剖学と生理学、わけても脳のそれに近づいていった。思考の要素とはなにか? それは脳細胞のことか? どれも同じようにみえる細胞のどんな仕組みが、印象を受け取ったり、記憶をたくわえたり、想像力や意志や理性を産み出したりするのだろうか? そこでバブーフは毎日のように研究室にこもって片っ端から脳を切り刻んでは顕微鏡で調べてみた。彼は脳の実体のあらゆる箇所の組織学や細胞の構造に精通した。しかし細胞は、真理の認識にとって、署名入りの証書や勘定書き以上に役立つものではなかった。細胞はひとつの事実にすぎず、それだけでは人格というものをいっこうに明らかにしてはくれない。解剖をつづけることで、さらに遠くへ行けるだろうか。おそらくはしかり。ただ、人体の学問は、人文の学問と同じく、限界があることをバブーフはさとった。そして、繰り返しこういうのだった。

「なにも見つからんだろう。どこまで行っても、なんにもな。が、ともかく脳を切らにゃならん。うむ、仕事をしよう、脳を切り刻もう」

「バブーフさん、とシプリアンは大声でいった、じっさい、私は自由なんですかね?」

「わが友よ、とバブーフはいった、そりゃありえないことじゃないね。たとえば、ときどきふしぎな畸形が見つかる。先日、わしらのうちでいちばん偉い外科医が、完全な半陰陽ふたなり)を手術したんだ。これはつまり、ただの一度にもせよ、自然が男女どちらとも決めかねたことを示している。優秀な物理学者のブシネスクによれば、液体は、なんらかの条件のもとでは、平衡の法則に反して、どちらか一方に勝手にかたよるそうだよ。すぐれた哲学者のブートルーは、宇宙の法則はまったく絶対的なものではないと考えていた。星の光を観察している天文学者がいうには、もろもろの世界が漂っている空間は、幾何学の空間とは一致しないとのことだ。それは三次元以上かもしれんし、以下かもしれん。幾何学でさえ無謬でないとしたら、シプリアン君、どうしてきみが自由でないことがあろう。とはいっても、きみの自由なんて高が知れているがね。たんにきみが変り者だという、ただそれだけのことさ。すべての規則をその決定的な相において知るのがいちばんいいのかもしれんな。うむ、そうだ、仕事をしなけりゃならん。もしかしたら、なにも見つからんかもしれんがね。が、それでも仕事はしなけりゃならん。脳を切り刻まねばならん」

「だめよ、とリリがいった、さあ、お昼にしましょう」

「「とがりねずみ」さんのいうのがもっともだ、とシプリアンはいった、とりあえずお昼にしましょう。私の返答はそのあとでいいでしょう、ほかに話題もないことですしね」



(あとがき)
物語はここで終っている。尻切れとんぼというよりも、たぶん病気のせいで先をつづけられなかったのだろう。ピエール・シャンピオンはこのコントを紹介したあとで、このように書いている。

「こうしてマルセル・シュオッブは青年期のニヒリズムにふたたび捉えられた。……これが、突如として大輪の、けざやかな、毒の花を咲かせた彼の精神の最後のドラマだ。このあと彼に残されていたのは、もはや死ぬことだけだった……」

「大輪の、けざやかな、毒の花」とは、たとえば「架空の伝記」のような本のことをいうのだろう。この本にはいくつもの小さい伝記が入っているが、なかでもとりわけなつかしく思い出されるのが「異端者フラテ・ドルチーノ伝」だ。これもいつか気が向いたら訳してみたい。