マルセル・シュオッブ「ユートピアの対話」その2


「ねずみさん、とシプリアンはいった、ほら、ここに五フラン札があるだろう。そこから一枚抜きとってください」
「はい、どうぞ、とねずみ嬢はいった、で、やることはこれだけ?」
「これはそんなにたやすい仕事ではないんだよ、とシプリアンはいった、ぼくはもうくたくただ。いったいどういう理由できみはこの札を抜いたんだい」
「さあ、どうしてかしら。なにかあるんですか、印でもついているんですか?」
「いやいや、そういうわけじゃないんだ。その札もほかのといっしょだよ。で、それこそが驚くべきことなんだ。さあ、調べてみよう。思い出してほしいんだが……」
「いい加減にしてちょうだい。それよりお昼にしましょうよ。あたしがその札を抜いたのは、あたしがその札を抜いたから。それだけよ。まったくあなたの物好きにはうんざりするわ。それも毎日のように新しいのをもちだしてくるんだから」

この娘は、とシプリアンはひとりごちた、その行為においても会話においても、あきらかに自由だ。ここで自由というのは、彼女が自分の行為の動機を知らないことを指す。彼女は無知によって自由なのだ。が、これではおれにはどうにも物足りない。

彼はほれぼれと彼女を眺めた。

リリ・ジョンキーユ、というよりむしろ「とがりねずみ」嬢は、二十歳の、素性の知れない娘である。顔は小さい三角形で、青白くて表情ゆたかで、狡猾そうな、詮索好きらしい様子をしている。金色の目、爪をのばした小さい手、逃げる水のようななよなよした体つき、言葉の下で敏活にうごく唇。彼女は連載小説が好きで、どんな芝居を見ても涙をながし、医学や政治を信用せず、革命家と権威者とを同時に讃美し、喜劇役者を崇拝し、モンマルトルの居酒屋の小唄をすべてそらで歌うことができ、ある晩などは友達のシガル(せみ)嬢の代りにカジノ・デ・トロッタンで身を売ったこともある。彼女の信じやすさはその疑り深さと同等だ。ひどく傷つきやすいかと思えば意外に強情で、情け深いかと思えば冷酷である。こういったことは、彼女が関わりをもつ人間や、ときどきの状況次第なのだ。そんなわけで、彼女はたいていの場合、友達の「せみ」嬢のいうゴシップはすべて信じたけれども、シプリアンがちょっとでも弁明しようとすれば、肩をすくめてみせるのだった。三面記事に出る犯罪者には腹をたてるが、「雄々しく」断頭台にのぼった連中には大いに称賛をおくる。そのあたりの理屈がよくわからない。彼女の好きなものは、ざりがに、狩の獲物、うさぎ、サラダ、泡だったシャンパン、フライなど。いい茸は、ちょっとした印ではっきりそれとわかるという。彼女が「デパート」をあしざまにいうのは、それが「ショーウィンドウに金を払わせる」からだ。しかるに、彼女はいくつかの最新流行の店をひいきにしていたけれども、それらの店がとくに安いというわけではなかった。最後に、彼女は病院、警察、蜘蛛、行政官が大嫌いだ。そのくせ、大統領のパレードは欠かさず見物していた。

この「とがりねずみ」嬢はシプリアンを軽蔑し、また尊敬していた。彼女が彼を軽蔑していたのは、彼が隠語を解さないからだが、彼を尊敬していたのも、やはり隠語を解さないゆえだった。軽蔑はなんらかの不和のしるしだ。尊敬もまたしかり。シプリアンが彼女を軽蔑しないのは、彼女が十四世紀のりっぱなカッソーネ(長持ち)などよりも真新しい帽子のほうを好んだからだが、だからといって彼女を尊敬しているわけでもなかった。尊敬するにはあまりに彼女のことをよく知っていると思っていたのだ。

しかし今度という今度は、いつもの確信にも似やらず、彼には合点がゆかないのだった。彼は自分の同類との差異を最高点にまで推し進めようとして、地道な努力をつづけてきた。それは彼の人格の純粋に自由な鍛錬だった。そして、シプリアン・ダナルクが非常な骨折りをしてようやくたどりついたこの地点に、この若い娘は、初手から到達しているのである。

シプリアンが浮かぬ顔をしていたそのとき、アンブロワズ・バブーフが部屋にはいってきた。