喜多尾道冬「音楽の悪魔」

sbiaco2006-10-23



いま注目している某ページに紹介されていたので買ってみた(2001年、音楽之友社)。題名の「音楽の悪魔」とは、diabolus in musicaの訳でもあるらしい。これはれっきとした音楽用語(!)で、いわゆる三全音(トリトーヌス、トライトーン)のことをかつてはこう呼んだらしい。著者によれば、この音程は不吉な響きを生むとして、中世では使用を禁止されていたとのこと。三全音といわれてもあまりピンとこないが、いわゆる減七の和音は三全音をふたつ含むから、まああんな響きだと思えばいいのだろう。

もちろんそれは一種のシャレで、この本のおもな目的は、音楽史にあらわれた魔的なもの(著者の好きな言葉でいえばデモーニッシュなもの)を探求することにある。それは端的にいえば、おどろおどろしい標題や内容をもつ曲をとりあげて、それを文化史的、社会史的な文脈にあてはめて考察する、というやり方のことだ。しかし、こういう方法はえてして図式的、表面的な理解にとどまって、そのさらに深層にある真に「魔的なもの」には到達しないうらみがある。

この方面における著者の造詣は広くかつ深い。それは認めるけれども、その知識があまり善用されていないような気もする。たとえば、この本を読んで、そこで取りあげられている一作品でもじっさいに聴いてみたいと思うようなのがあるか、といわれれば、残念ながら「ない」と答えるしかない。笛吹けども踊らず、とはこのことで、要するに、著者は誘惑者(=悪魔)ではないのである。

音楽の悪魔といっても、しょせんはパラドックスにすぎない。それは否定することでしか語れないなにものかなのだ。