男の女にあうの路


南方熊楠の「蛇に関する民俗と伝説」(「十二支考」所収)に、こんな話が出ている。

「ムショーの艶話事彙(ヂクシヨネール・ド・ラムール)にも、処女が男子に逢見し事の有無は、大空を鳥が飛び、岩面を蛇が這た足跡を見定むるよりも難いと、或名医が嘆じたと載す」

南方はこのエピソードが好きだったらしく、ほかでも引用しているのを読んだ気がするけれども、それはともかくとして、この名医よりはるか昔に、ヤケの子アグルというひとがこんなことをいっている。

「わが奇(くすし)とするもの三あり、否な四あり共にわが識ざる者なり、即ち空にとぶ鷲の路、磐の上にはう蛇の路、海にはしる舟の路、男の女にあうの路これなり」(「箴言」第30章18−19)

箴言」は有名な本だから、このエピソードはけっこう知られているのかもしれない。それにしても、「男の女にあうの路」では表現が上品すぎて、なんのことかよくわからないだろう。この部分、英訳では次のようになっている。

18:There be three things which are too wonderful for me, yea, four which I know not:
19: The way of an eagle in the air; the way of a serpent upon a rock; the way of a ship in the midst of the sea; and the way of a man with a maid.


(追記)
ヤケの子アグル、で検索してみると、現行の聖書の当該箇所が出ていた。二種類あがっているうちのいずれもwayを「道」と訳していて、意味がとりにくくなっている。「男が女にあう道」とか、「男が乙女に向かう道」とか。

この場合のwayはもちろん「痕跡」という意味で、一文の意味は、要するに「処女の体を通過した男の痕跡」ということだ。蛇足だとは思うけれども付け加えておく。