クリステンセン「魔女」

sbiaco2006-10-02



聞きしにまさる怪作(ベンヤミン・クリステンセン監督、1922年)。こんな映画はいままで見たことがない。しいて似たような映画をあげるとすれば、同じくサイレントの「イントレランス」くらいか。ただし、「イントレランス」がセットの豪華さで見るものを圧倒するとすれば、「魔女」はそのグロテスクさで見るものをひんしゅくさせる。クリステンセンの意図するところは、学術の威をかりながら、思うさまスキャンダラスなゲテモノ映画を撮ることだったのではないか。

グロテスクといえば、この映画に出てくる人物はどれも異様な風貌の持主ばかりだ。まず最初に出てくる大入道のような坊主に度肝をぬかれる。破戒無慙という言葉がぴったりするような悪辣なつらがまえだ。魔女はといえば、これまたゴヤの絵から抜け出てきたような醜怪な連中ばかり。それだけに、ヒロイン(?)の美しさがみごとに映える。この美しい娘がむごたらしい拷問をうける場面は、息をのむような凄惨さだ。この部分はのちのドライエル(ドライヤー)の「裁かるるジャンヌ」に影響を与えたのではないか。

拷問器具の羅列にも驚かされた。以前に読んだ「日本切支丹宗門史」でも拷問描写がものすごくて辟易したが、しかし日本の拷問に使われた器具は、刀とか溶かした鉛とか、あるいは雲仙の煮え湯とかいった、どちらかといえば素朴なものばかり。それに比べて、ヨーロッパの拷問器具はどれもほとんど幾何学的といってもいいような、拷問に特化した精密なものが多く、ここでも彼我の相違はきわだっている。この拷問器具の延長上にはまちがいなく近代医学の手術道具がある。

そういえば、この映画の最後のほうで、魔女現象を現代女性のヒステリーの発作に比較しているところがある。クリステンセンはシャルコーの本なども参考にしたらしいが、たしかに近代医学と拷問とは、どこか共通するものがあるようだ。しかし、そんなことは別にしても、この映画は映像の美しさ(醜の美学?)だけとってみても、じゅうぶん現代人の鑑賞にたえると思う。