新田義弘「哲学の歴史」


古書にて購入(講談社現代新書)。

新書ということで気軽に手にとったものの、この本はじつにわかりにくい。半分も理解できたかどうかおぼつかない。このわかりにくさの原因は、ひとえに著者の哲学的吃水が深すぎることにある。ほんの数行の記述のうちに、ゆうに一冊の本に相当する内容が詰めこまれているからだ。哲学というのはもともと形式的な学問だが、その形式のそのまたエッセンスだけ抽出して提示されているので、ちょっと読んだだけでは何が問題になっているのかよくわからない。けっきょく、ちゃんと理解しようとすれば原典にあたるしかないのだ。著者の真の意図は、哲学史の概要を示すことではなく、読者を原典へと駆りたてることにあるのではないか。「こんなものを読んでわかった気になるなよ」という著者の声がきこえてくるかのようだ。

この本のもうひとつの特色として、記述が一種のパースペクティヴ主義にのっとって行われていることがあげられる。つまり、ある見地から遠近法的に哲学史を見なおしたのがこの本だというわけだ。ある見地というのは解釈学と現象学とが交差する地点、遠近法的というのは、遠い過去よりも近い過去により多く焦点をあてるというやりかたのこと。ふつうの哲学史は逆遠近法というのか、遠い過去ほど記述がくわしくて、最近のものになればなるほど記述がおろそかになる傾向がある。本書はその正反対。

その試みが成功しているかどうかは、読者がどれだけ解釈学や現象学に親しんでいるかによって評価がちがってくるだろう。つまり、現代思想にある程度慣れ親しんだ人間でないと、この本を読んでも得るところは少ないのではないかと思われる。そういう意味で、この本は一般読者を相手にした入門書というよりも、現代思想から哲学一般へと視野をひろげたい人間に向いているといえるだろう。

ところで、その現代思想だが、これがまた私には難物で、なにを問題として問いが発せられているのか、さっぱりわからない。しかし、無茶を承知でいえば、われわれは無意識のうちに現代思想の主題を生きているのではないか。現代思想はその無意識をあばき出そうとしているだけではないか。断定はできないけれども、どうも「わかりきったことをおおげさにいっているだけ」という気がしてならない。