「悪霊」(四)


四冊目読了。これでいちおう全部読み終えたことになる。

いままで、この小説は膨張するばかりでいっこうに進展しない、と書いてきたけれども、この四冊目にいたって、ついにその膨張がストップする。というよりも、ひとつの事件がきっかけになって、膨れに膨れた物語に穴があくのだ。それはまるでバブルがはじけたかのようだ。このあと、物語は急速に進展する。そして、ぽっかりとあいた風穴からは、あらゆるいまわしいものが噴き出してくる。なんのことはない、パンドラの箱をあけたようなものだ。

こうなるともう歯止めはきかない。物語は結末に向かって、いっさいのものを巻き込みながら驀進する。末尾にいたっては加速度がつきすぎて、つんのめるような簡潔な記述になっている。まるで梗概を読んでいるかのようだ。もっとも、これを前半の調子でやられたら、終りまでいきつくのにあと何巻必要だったか知れたものではないが。

ところで、けっきょくのところ、作者はこの小説でなにがいいたかったのか。あるいはなにを描き出そうとしたのか。そのあたりがよくわからない。ある秘密結社の暗躍とその末路、というだけのことではなさそうだ。どこまでいっても焦点がしぼりきれていないところが、この小説の強みでもあり弱みでもあるだろう。

強み、というのは、漠としてとらえどころがないだけ、隠された秘密をさぐりたいという読者の欲望をそそるものがあることだ。じっさい、自分がいままで読んだドストエフスキーの作品で、これほど「謎とき」の必要を感じたものもない。

弱み、というのは、そのまま「退屈でつまらない作品」として切って捨てられる可能性があるということ。そして、遺憾ながらその可能性はきわめて高い。

というわけで、問題作であることは間違いないが、その問題の所在がよくわからないという意味でも問題作である。一種のメタ問題作とでもいえばいいか。

ちなみに、この小説で自分がいちばん「萌え」たのはシャートフだ。「甘い」といわれるかもしれないが、じっさいそうなのだから仕方がない。