正字正かなについて


正字正かなサイトをいくつか見て思つたこと。どのサイトも基本的な姿勢は共通してゐて、要するに正字正かなで書けるやうな環境をととのへよ、といふことらしい。それやさうだらう。いまのところ、正字正かなで文を発表できる場としては、ウェブくらいしか思ひ当たらない。せつかく苦労して身につけた知識が、ほかのところでは使ふことができないのだから、彼らが躍起になるのも無理はない。

環境にはもうひとつ問題がある。いまのPCでは正字が完全には表記できないことだ(正字だけではないが)。たしかにこれは困つたことで、私も使ひたい字が使へないつらさは何度か経験してゐる。いろいろと裏技はあるやうだが、どれも中途半端で一般化するには至つていない。正字論者の理想は、JISコードを拡張して、ふつうの漢字なみの手軽さで正字を扱へるやうにすることだらう。これには私も異存はないが、このやうな不備が10年以上もほつたらかしにされてゐるところをみると、どうやらまじめな検討の対象にはなつてゐないやうだ。

かういふところから、正字正かな連のキャンペーンにも似た説伏活動がはじまる。ところが、なにぶん少数派の主張なものだから、ほとんどのひとからは相手にされない。相手にされないだけならまだしも、ときには揶揄や反撥の対象になる。これがまた彼らのルサンチマンを刺激する。いきほひ態度が攻撃的になる。不毛な論争に火がつく。それがえんえんと繰り返される。……

といふわけで、私のやうにどちらかといふと正字正かなに同情的なものでも、かういつた状況をみてゐると、もうどうでもいいや、と思つてしまふ。ありていにいつて、いまの日本では正字正かなは趣味の領域に属する。趣味といふのは、酔狂なことが許される唯一の領域だ。正字正かな論者も、大義名分をふりかざすのはやめて、あくまで自分の趣味としてかういふことをやつてゐるんだ、といふのなら、わりあひ他人にもすんなりと受け入れられるのではないか。

ちなみに、「正字正かなに同情的」といふのは、歴史的事象としての正字正かなに対して同情的なのであつて、いまの日本で正字正かなを使ふことに同情的なのではない。蛇足ながら、念のため。


(付記)
ふと思いついて、表記を正かなにしてみた。読んだひとは、ほとんど新かなで書いたのと変らない印象をもつのではないか。これを要するに、いまの実用文では正かなを使って書いてもあまり意味はないのである。