ホイジンガ「中世の秋」


下巻読了。なるほど歴史書とはこういうものかと思う反面、これは歴史書とはいえないのではないか、とも思いながら読んでいた。というのも、随所に著者の感想がまじる叙述のせいか、学術書というよりもむしろ歴史エッセイを読んでいるような気になってくるからだ。巻末の「解説」によれば、ホイジンガは「真正の歴史研究者にはついになれなかった」と告白しているらしいが、もしこれが本心から出た言葉ならば、それはやはり学者らしからぬ叙述のスタイルに起因するものだろう。

学者らしくない学者が珍しかったころには、ホイジンガももてはやされたのかもしれないが、その手の学者が世間にあふれているような昨今では、ホイジンガのようなスタイルはもうその有効性を失っているとみてもいいのではないか。

それはともかくとして、この本を読みながらどうにも気になってしかたなかったのは、その独特の癖のある訳文だ。この無意味に仰々しい文体のせいで、読むのにひどく苦労した。私は古い文体も、古めかしい文体もきらいではないが、年寄りくさい文体だけはかんべんしてほしいと思う。堀越氏の訳を読んでいると、よく新聞の投書欄などでみかける老人の作文を思い出す。あれと同じ種類の「痛さ」があるのだ。

あともうひとつ書いておくと、この本の索引にはガストン・フェビュスの名前が出ていないが、本文には二ヶ所出てくる。第13章に「罪と敬虔の平行という、いわば敬虔な俗物というタイプは、なお、多く知られている。たとえば、フォワ伯ガストン・フェブスの野蛮、……」とあり、第20章に「怒りにかられたその父親に刺された、若きガストン・フェブスの死の物語」とある。

ガストン・フェビュスが息子を殺したことは、CD「フェビュスよ進め」の解説にも書いてあったが、ホイジンガの文を読むと、ガストン・フェビュスが父に殺されたことになっている。これはホイジンガの思い違いだろうか。それとも堀越氏の誤訳だろうか。あるいは、ガストン・フェビュスの息子もまたガストン・フェビュスと名乗っていたのだろうか。