久保正夫訳「聖フランシスの小さき花」


いつもは本を買ってもいちいち日記には書かないが、今回のはちょっと気になることがあるので、書くことにする。

ネット古書でフランチェスコの「小さき花」をさがすと、久保正夫訳というのがいくつかあがってくるが、どれもみな高い。旧版の新潮文庫で3000円などという値段がついているものもある。そんななか、「古今雑庫」という本屋(?)が大正11年の箱入本(新潮社)を1200円で売っていたので、これを買ってみた。

このころ(大正)の本は、用紙といい活字といい装丁といい、すべていまの本よりもはるかに本らしい。いまの本はカバーこそきれいだけれども、カバーをとってみたらそのあまりのみすぼらしさにがっかりするようなのが多い。たいていは殺風景な厚紙表紙の装丁だからだ。その点、むかしの本はカバーなんかなくても本体だけでじゅうぶんに美的な価値をもっていたと思う。この「小さき花」も、もちろんたいしたものではないけれども、いかにも瀟洒な感じにできあがっている。箱はもちろん貼り箱だ。

この本については、いずれ読んでからあらためて感想など書いてみたいが、冒頭に書いた「気になること」とは、本のうしろの見返しのところに「T.Hayashi 1923」と署名がしてあることだ。これは林達夫のことだろうか。そういえば、林達夫は久保正夫に何通も手紙を送っているし、震災のころに「小さき花」を愛読したことを対談で語ったりもしているから、この本が彼の旧蔵本であったとしてもふしぎではない。

ふしぎではないが、もしそうだとしたら、そんな本が1200円という値段で私のところに送られてくるのがふしぎだ。

もっとも、林なんていう苗字はありふれているから、どこかの知らない林さんの本なのかもしれない。それに、林達夫が震災のときに読んでいた「小さき花」は仏訳本だったような気もする。まあ、いずれにしても、自分にとってはちょっとした驚きだった、というそれだけの話だ。


(追記)
林達夫の本(「思想のドラマトゥルギー」)を見なおしてみたら、彼が震災のときに読みふけった本は「小さき花」ではなくてサバティエの「アッシジの聖フランチェスコ」という本だったらしい。またここには久保正夫の「小さき花」への言及もちゃんとある。ちゃんと調べてから書くべきだった。