由良君美「風狂 虎の巻」

sbiaco2006-06-17



英文学者の書いた国文学の本(青土社)。扱われているのはまず「梁塵秘抄」、それから蕭白若冲、芦雪、浮世絵などの江戸もの、夢野久作大泉黒石坂口安吾平井呈一などの無頼派の文学、それに中村草田男の俳句などだ。あとは埋め草的な雑文が少々、といったところ。

なかでもいちばん私の興味をひいたのは、やはり著者のいうところの江戸におけるマニエリスム絵画だ。ことに蕭白についての論稿はかなり力がはいっていて、著者の画家に対する深い愛情がしのばれる。批評というのも、つまるところは好き嫌いに還元されるものだろう。好きなものについてなにか意見をのべてみたいという衝動は、あらゆる批評の根底に横たわるものだと思われる。その点で、えらい学者先生の堂々たる批評も、そこらのブログにある寸評も、基本的には同じだといっていい。

もちろん、好きなものをただ好きだといっているだけでは批評にならないので、やはりその批評がある程度の妥当性をもつためには、なんらかの原理のようなものは不可欠だ。由良君美の原理はなんだろうか。本書を読んだだけではよくわからないけれども、どうやら著者が幼少のころからつちかってきたある種の偏向があって、それがひとつのクライテリオンにまで高められているようなあんばいだ。

それが、前にも書いたように、「マニエリスム」であり、「幻想」であり、また「風狂」なんだと思う。それらがごちゃまぜになって、由良君美という一個の粋判官のうちに結実しているわけだ。彼はこれを臭いと呼ぶ。そこで、由良と趣味を同じくするものは、同臭の士ということになる。

そうだ、この本にかぎらず、由良君美の本からは独特の臭気がただよう。ときとして辟易しながらも、つい彼の本をもとめて読んでしまうのは、自分にも同様の臭気があるということだろうか。認めたくないけれども、どうもそういうことになるらしい。それを思うと、穴にでも入りたいくらい恥ずかしくなってくる。