逸脱 英文学者の場合


こんな本があったら読んでみたいと思うものに、「英文学者列伝」がある。どうも英文学者というのはほかの外国文学研究者にくらべて奇人変人が多いような気がするからだ。フランス文学やドイツ文学の主流が、よかれあしかれ旧帝大(もっとはっきりいえば東大)を中心にしているのに対し、英文学はむしろ私学のほうが隆盛なようにみえるのも、一部突出した英文学者(つまり変人)たちが官学のしがらみを嫌ってより自由な学風を求めた結果だといえないこともない。由良君美もそんな私学系の英文学者だ。

前にも書いたけれども、このひとの本はほとんどすべて絶版になっている。古本で手に入れるしかないわけだが、なかには驚くような高値がついているものもある。「椿説泰西浪曼派文学談義」と「ディアロゴス演戯」がそれだ。それだけ求めるひとが多いのだろう。だから、復刊すれば一定部数は確実に売れるはず……なのだが、どういうわけかそんな気配すらない。

そんなわけで、由良君美の本は安くみつけたら買っておくようにしている。今回買ったのは、「風狂 虎の巻」という本(青土社)。とりあえず半分ほど読んだが、英文学に関連した記述はほとんどない。あとのほうのページをざっと眺めても、扱われているのはほとんどもっぱら日本のものばかり。おいおい、あんた何が専門なんだ、といいたくもなる。

しかし、日本のものといっても、キーワードはずばり「マニエリスム」である。著者はこの概念をホッケ以上の無節操さでふりまわす。もうなにがなんだかよくわからない。それともうひとつのキーワードは「幻想」。これも概念規定抜きでいたるところに錦の御旗のごとくあらわれる。はては「幻想人」(ホモ・ファンタスティクス)なんていう言葉まで飛び出すしまつ。うーむ、いいのかしら、こんないい加減なことで。

いいのである。この、英文学者らしからぬ、いや、まさに英文学者ならではの逸脱ぶりが、由良君美を奇人伝中の人物ならしめているからだ。かててくわえてこのひと、骨がらみになった書痴でもある。これがまた彼の暴走を加速する。由来、書痴にまともな人間はいない。英文学者で書痴となると、もう手がつけられない。同じようなことは高山宏氏にもあてはまるだろう。