W.ゴンブローヴィッチ「結婚」


「詩的演劇」(白水社)所収の四つめ。ここまでくると、完全に現代演劇という感じがする。この手のものはすでに日本も含めて世界じゅうの劇団がいまなおやっているものではないか。現代劇につきまとうある種の「気恥ずかしさ」(見るものにとっても演じる側にとっても)がここではすでに全面的にあらわれている。

「作者の意図」に明らかなように、この作品は人間「間」における状況、あるいは形式をテーマとする、シェイクスピア劇のパロディだ。しかし、それがマリオネット仕立てである点で、おそらくジャリの「ユビュ王」を直接の霊感源としているように思われる。もしこの見当がまちがっていなけれは、ジャリの劇がすでにシェイクスピアのパロディなのだから、この「結婚」はパロディのパロディになる。なんともややこしい。

この劇の圧巻は、やはり最後の、ヴワージョ(主人公の親友、あるいは分身)の死骸がぬっとあらわれるところだろう。これもまたなにかのパロディになっているのだろうか。それはともかくとして、この死骸の存在感はまた格別だ。なにしろ死んでいながら、「おまえが犯人だ」とはっきり告発しているも同然なのだから。

ゴンブローヴィッチのものでは、かつて「ポルノグラフィア」という小説を読んだことがあるが、まったく記憶に残っていない。ただ、今回の「結婚」とは、同一人物が書いたものとは思えないくらい肌合がちがうようだ。そういえば、この作家についてleibnizさんが以前ブログでとりあげていた。興味のあるひとは、「モナドの方へ」(アンテナのところにある)へいって検索してみてください。