ガルシーア・ロルカ「すばらしい靴屋の女房」


これも白水社の「現代世界演劇3・詩的演劇」に入っているもの(会田由訳)。ロルカはいっとき日本でも人気があったようだが、いまはどうなのだろうか。私はといえば、その詩のひとつすら読んだことがない。この本に「すばらしい靴屋の女房」が入っていなければ、ロルカとの出会いはまだまだ先になっていた(あるいは永遠になかった)かもしれない。

この劇では、スペイン女性のかわいらしさを存分に味わうことができる。やはり恋をするならスペイン女性かイタリア女性にかぎる、などと(実体験の裏づけもなく)スタンダールの肩をもちたくなってしまう。いけすかない村長にいいよられて不機嫌になっていた靴屋の女房は、そこへ紙芝居の旅芸人がやってくると、「紙芝居だわ!」と叫んで、楽しげに、目を大きく見開いて、膝をたたく。紙芝居くらいで子供のように喜んで機嫌がなおってしまう女性がはたしていまの日本にいるだろうか。

話の筋としては単純で、どこにでもありふれたような内容だが、そういういわば手垢にまみれた題材をつかって生き生きとした芝居をつくりあげるロルカの手腕はみごとというほかない。またこの劇はたぶんポワッサルド文学の伝統を受け継いでいて、小気味のよい(?)悪罵のことばがぽんぽん飛び出す。日本語でやるとちょっとヒステリックで感心しないけれども、原語ではそうとうに効果的なのではないだろうか。

それと、この劇を読んでいて感じたのは、ロルカというひとが想像以上に作曲家のマヌエル・デ・ファリャと近い位相にあるのではないか、ということだ。まあ、この点に関しては、もうちょっと両者の作品に親しんでみないとはっきりしたことはいえない。


(付記)
本文をアップしてから、ネットで「すばらしい靴屋の女房」を検索してみたが、ほとんど引っかかってこない。そんなに人気がないのか。林達夫ロルカにふれていた文があったのをふと思い出したので、その本を出してみると、彼がロルカに惚れこんでスペイン語を勉強しようと決意したそもそもの原因は、この作品を読んだことにあるらしい。そういういわくつきの作品でもあったわけだ。