メーリケ「旅の日のモーツァルト」


モーツァルトを聴かないまま、モーツァルト・イヤーも半分近くすぎてしまった。どうもこの先、事態が好転しそうもないけれども、シュタイナー=プラークが挿絵を描いたというメーリケの本を手に入れたので、これを読んでみた。といっても、当該挿絵本ではなくて、古い岩波文庫だが(石川錬次訳)。

これは奇妙な小説だ。筋らしい筋もなく、たいした事件が起るわけでもないが、全体がモーツァルトの音楽を聴くように読めてしまい、なおかつふしぎにノスタルジックな読後感が残る。短い分量のなかに、モーツァルトのひととなりがみごとに浮き彫りになって示されている。全体にロココ的な幸福感が支配的だが、もうひとつの主調音たる「死」が末尾にいたってその不吉な影をじわじわと押し広げていくあたり、結構もじつにうまくできていると思わざるをえない。

マラルメの「エドガー・ポオの墓」に、「この奇妙な声においては死が勝利を占めていたことに気づかなかったので驚いている彼の世紀」という詩句がある。モーツァルトの典雅な音楽においても、やはり死が勝利をしめているのだということをこの小説は示そうとしているのだろうか。「彼(モーツァルト)はこの現世(うつしよ)に於ける一つの儚なき現象でしかあり得ない」とか、「常に我等は一切の不吉な思を、それが今直接に自己に関わらぬ限り、必死に払い退けようとする」とかいう文句はそのことを暗示しているようにも思われる。

いずれにせよ、モーツァルトをろくに知らない自分が読んでおもしろかったのだから、モーツァルト・ファンにはいっそうおもしろく読まれるだろう。岩波文庫は品切のようだが、こういう作品を復刊してこそのモーツァルト・イヤーではないだろうか。とはいっても、この作品、かつてはよく読まれたらしく、古本屋ではけっこう見かける部類に属する。いまさら増刷する必要はないのかもしれない。