南方熊楠とシュルレアリスム


「摩羅考に就て」が入っている全集の第三巻(乾元社)には、また「古き和漢書に見えたるラーマ王物語」という文がある。これによると、仏典にはラーマ(「ラーマーヤナ」の主人公)を羅摩と表記しているらしい。また、引用されたお経のなかには「婆伽婆住大海畔摩羅山頂上盧伽城中」という文句がある。マーラ山という山があったのだろうか。また、ナーガールジュナの「大智度論」を訳したクマラジーヴァは漢名を鳩摩羅什という。ここにも摩と羅が入っている。こうしてみてくると、仏典ではマの音には摩を、ラの音には羅をあてるのがふつうのやり方だったようにみえてくる。

となると、仏典の影響をつよく受けていたころの日本人が「まら」に「摩羅」の字をあてるのもふしぎではない。これはやはりやまとことばとしての「まら」に漢字をあてたものとみるほうが実情に近いのではなかろうか。いまでも俗語を表記するのにカタカナを使うことが多いが(チンコ、マンコのたぐい)、当時のひともたぶんそんな感覚で仏典の漢字をあてたのだろう。

それはともかくとして、南方熊楠の文を読んでいると、このひとにとって文を書くことは呼吸するのと同じくらい造作ないことだったのではないか、という気がする。およそ淀むとかつっかえるとかいったこととは無縁で、ほとんど自動筆記のように文があふれだしているかにみえるからだ。彼の文にはおびただしい引用が出てくるが、それらもみな引用という感じではなくて、彼のなかにあるべつな人格が彼の筆を通じて直接語っているかに感じられる。

これはどういうことだろうか。思うに、彼の文というのは自他の区別がかぎりなくあいまいなのだ。熊楠といえばその超人的な記憶力のことがすぐに取り沙汰されるが、それもたぶんこの自他の区別のあいまいなところから説明がつくと思う。いいかえれば、彼は他人の文(つまり他人の経験)をすぐに自分のもの(体験)として同化してしまうことができたひとなのである。彼の真の才能とはそういうところにあるのではないか。

こういう彼の文筆家としての資質は、ブルトンのいわゆるシュルレアリスムに非常に近いと思う。なによりも彼は自動筆記の達人なのだ。ブルトンが熊楠を知っていたら、その「第一宣言」に「南方熊楠は記憶においてシュルレアリストである」と書いたにちがいない。