男根を摩羅と呼ぶこと


イグナチオの「霊操」をみていると、やはり修行のいちばんの敵は性欲だということがわかる。はっきりそう書いてあるわけではないが、行間を読めばそう解釈せざるをえないような局面にしばしば出くわすからだ。同じことは仏教の修行にもあてはまるだろう。古来、坊主たちがいかにこの始末におえない衝動にふりまわされたかは、たとえば「羅切」などという言葉があることによっても知ることができる。

さて、この羅切のもとになった摩羅(あるいは魔羅)という言葉だが、辞書をひくとたいてい僧侶の隠語ということになっている。手元にある岩波国語辞典(第四版)をみても、「①〔仏〕仏道修行の障害になるもの。▽梵語。②〔俗〕陰茎。▽もと僧侶の隠語」とある。ほかの辞書でもたいていそうなっているのではないか。

しかるに、この説にまっこうから反対意見を述べているのが南方熊楠だ。昭和10年に書かれた「摩羅考に就て」では、いろんな文献をあげながら、「まら」という言葉が純然たる和語であることを証明しようとしている。

彼があげている文献を逆年順にならべると、

1.「稚児之草紙」(1321年頃)。摩羅という語が七ヶ所出ている由。

2.「真俗雑記問答抄」(1262年頃)。「吾が恋はつひからそりのあひかたみ、摩羅ありとても何にかはせむ」という歌が引かれている。

3.「古今著聞集」(1254年頃)。「穴に取あてたるまらも外れて」「刀を抜いて、己が摩羅をきる由をして」「僅かなる小まらの、然もきぬ被ぎしたるを」「摩羅は伊勢摩羅とて」など。

4.「古事談」(1221年以前)。「追放敦頼、拘其麻良」など。

5.「皇帝紀抄」(1232年頃)。「切羅」なる語みゆ、と。

6.「今昔物語」(1080年以前)。門がまえに牛と書く字に摩羅と傍訓しある由。

7.「本朝文粋」(1058〜1064年)。「鉄槌伝」に「摩羅」「麻良」「磨裸」などの字ある由。

8.「太秦牛祭絵詞」(1017年以前)。「まらがさ(陰茎の病気)」なる語あり。

9.「倭名類聚抄」(923〜930年)。「……破前、一云麻良」。

10.「日本霊異記」(810〜823年)。「即犯其妻、卒璽摩羅看蟻嚼痛死、云々」

11.「古事記」(712年)。鍛人天津麻羅(カヌチアマツマラ)なる人名出づ。

というわけで、「摩羅」はその語源を神代にまでさかのぼりうる由緒正しい(?)言葉だ、というのである。

この南方説が正しいかどうか、素人にはわかりかねるけれども、梵語のマーラを男根に付会する説は、あまりにまことしやかなだけに、じつは眉つばものではないか、という気がしてしかたがない。このことについては、すでに「類聚名物考」という本に、「陽物をまらといふ云々、梵語也と云人あれども左には非ず、梵和似たる事は、甚だ多けれども、暗合なり」とはっきり書かれているそうだ。