ストリンドベリイ「基督」


大正13年に聚英閣という本屋から出たもの(福田久道訳)。一読してあまりのつまらなさに絶句してしまった。これはストリンドベリの遺稿で、「モーゼ」「ソクラテス」とともに「史劇三部曲」をなすものらしい。しかし、この作品をもって推すに、ほかのもたぶんたいしたものではなさそうだ。

訳者の福田久道は、前年(大正12年)に新潮社からストリンドベルク小説全集の一冊として「女中の子」を翻訳出版している。しかし、これはどうも訳者にとっても出版社にとっても満足できる出来ではなかったらしい。じっさい、この出版が元になって、福田は新潮社と絶縁してしまう。で、出版社を失った福田の仕事を拾い上げたのが、聚英閣だったというわけだ。

いまとなってはそんなことはどうでもいいが、とにかく新潮社から干された福田は、今度は聚英閣によって自分のストリンドベリの翻訳を順次公けにすることを決意したらしい。「……読者にして若しも訳者の此の仕事を信じられるならば、どうか此の長い仕事が完成されるよう、より多くの共感をもって頂き度い。再び「女中の子」のような心苦しい仕事はしない積りである(これは他日必ず全部的改訳をすることを誓っておく)」と「序」にあるとおりだ。

とはいうものの、その後福田によるストリンドベリの翻訳は、小さい戯曲がいくつか出ただけで沙汰やみとなってしまったようだ。もちろん、「女中の子」の改訳版も出なかった。福田の仕事は(おそらく)大部分が日の目をみないうちに烏有に帰してしまったらしく思われる。

その後の福田はどんな生活をおくったのだろうか。おりしもストリンドベリ・ブームは下火になり、世間は急速に軍国色をつよめてゆく。そんななかで、福田はあくまで初一念をつらぬくべく、ストリンドベリの訳稿をかかえながら東京の町をさまよっていたのだろうか。……いずれにせよ、この「基督」という本、たった数ページの「序」のほうが、本文よりもずっと多くのことを語っているような気がする。