バッハ「ヨハネ受難曲」
なかなか手に入らなかったのをようやっと入手(ミュンヒンガー指揮、デッカ)。これはeloquenceという廉価盤だが、そのせいかどうか、歌詞カードがついていない。そういえば、この前買ったフランス・ハルモニア・ムンディの「アルス・スブティリオル」(センチュリー)にも歌詞がついていなかった。歌詞はネットで検索しろ、ということだろうか。どうもCDは再発されればされるほどデータ面での情報がなおざりにされる傾向があるようだ。
それはともかくとして、この曲。まず冒頭の合唱にいきなり圧倒される。バッハの合唱曲のうちでもかなりの出来映えではなかろうか。「マタイ受難曲」の冒頭の合唱が「憐れみ」を喚起するものだとしたら、こちらが主に喚起するのは「おそれ」だろう。ちょっとはったりぽくもあるけれども、聴き手の精神を一気に緊張させるだけの力がある。曲調はドリア調トッカータに似ていて、リトルネッロ形式というのか、同じような音形がうねるように繰りだされる。合唱がまたものすごく、へんな喩えだが、地獄の亡者の阿鼻叫喚のようだ。これは大変なことになりそうだぞ、と思わず身をかたくする。
ところが、つづく叙唱がどうも……
「マタイ〜」にしてもそうだが、この福音史家の叙唱の部分、みなさんは楽しんで聴いているのだろうか。私はといえば、同じようなメロディばかりで退屈してしまうのだが。この叙唱が、「ヨハネ〜」の場合、むやみに長いような気がするのだ。それに、「マタイ〜」では叙唱のあとに目のさめるような詠唱がつづくから退屈している暇はないのだが、「ヨハネ〜」ではあとにつづくのが主に聖歌だから、よけいに退屈に感じるのかもしれない。
まあ、こまかく聴いていけば、おもしろい部分もあるんですけどね。
さて、演奏についてだが、30年前の録音にしては満足できる出来だと思う。とくに低音が強調されているのがいい。第二部のはじめのほうのテノールの詠唱では、コントラバスが細かい音符を歌っているのが意想外でおもしろかった。
それとこのミュンヒンガー盤、合唱には女声をもちいず、ボーイソプラノを起用している。つまり男声ばかりの合唱なのだが、これを聴いているとどうしても天使のヒエラルキーを連想してしまう。天使のヒエラルキーでは上にいくほど単純、つまり子供に近いイメージであらわされ、下にいくほど複雑、つまり大人に近いイメージであらわされているからだ。ここでは単純なものほど位階が高く、神に近いという構図になっている。神にいたっては、単純なもののうちでもいちばん単純で、全なる一としてあらわされているというわけだ。